今月のおすすめ

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とある地方高校の甲子園一回戦。強豪校相手に戦う野球部のために生徒たちが動員されてくる。野球のルールすらよく知らない演劇部員のあすは(小野莉奈)とひかる(西本まりん)、元野球部の藤野(平井亜門)、そして優等生の宮下(中村守里)はアルプススタンドのはしからやる気なさげに観戦している。野球部顧問でもないくせに「声を出して応援しろ!」と焚き付けてくる典型的熱血教師の厚木先生(目次)に4人は困惑している。

不穏な映画である。元は高校演劇というのも不安で、出だしのぎこちないやり取りからは退屈な時間がやってくるのを想像して身構えてしまう。ところが、気になるのは本当に最初の最初だけで、そこからはめくるめく人間ドラマの展開に圧倒されてしまう。「アルプススタンドのはしの方」に集まった4人は満たされない人々である。演劇の全国大会を諦めざるをえなかった者、野球の道を自ら閉ざした者、勉強はできるが恋愛には負けている者…。彼らの口癖は「仕方ない」だ。そんな彼らが完璧な青春(劇中いわく「進研ゼミ!」)を謳歌する野球部の試合で応援に没頭するはずがない。そして映画館の暗闇を好むような陰キャ勢としては彼らに感情移入しないわけがないのだ。しかし、この75分という長いとはとても言えない時間の中で、彼らの意識が180度変わっていく。これがこの映画の最大の見所だ。いつしか彼らの傍らで一緒になって声援を送りたくなってしまうし、テンプレート気味の熱血教師でしかなかった厚木先生が愛おしい一人の人間へと変わっていく。「仕方ない」を前に向かう力にしてくれる魔法がこの映画にはある。

そしてまたこれは想像力をめぐる物語でもある。野球をテーマ(少なくともその一つに)にしているにも関わらず、グラウンドや選手たちが画面に映ることは一度もない。主人公たちは当然試合を観ているから何が起こっているのかはわかるのだけれど、映画を観ている我々は観客たちの歓声や打球の音から彼らの視線の先の出来事を想像するしかない。元となった演劇の形式を踏襲しているわけだが、試合の光景を全く映さないというこの演出はこの映画においてとてつもなく効果的だ。映画を観る我々はスタンドのはしに屯する4人の心情に寄り添うほかなくなるからだ。前述したように、彼らの内面は75分という短い上映時間の中で劇的に変化していく。彼らを通して、見えないはずの甲子園一回戦を想像することは、「アルプススタンドのはしの方」の外に広がる自分たち以外の世界を意識することに他ならない。自分以外の誰か(例えば万年ベンチの矢野だったり)の世界を想像することで、自分の世界がより豊かになっていく。これはそんな小さな映画だ。

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観た映画一覧(時系列順)

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「まーた恐竜のリメイクかい。こないだ(といっても2006年だけど)やったやんけ。しかも脚本が川村元気かあ…。「宝島」がアレだったからなあ…。まあ作画いいだろうし画を観に行こう…」という感じで舐め腐った態度で観に行ったんですが、いやあこれが思いの外まともで驚いた。期待値が地の底を這うレベルだったというのもありますが…。

ただ、出だしだけみると「のび太の恐竜」のリメイク感は強い。例によってジャイアン・スネ夫の前で「新種の恐竜を発見してみせる!」と大見得を切ってしまうのび太。化石発掘体験コーナーで見つけた卵型の石をタイムふろしきで戻してみると、果たしてそれは恐竜の卵であった…!というのは「のび太の恐竜」(新旧)と同じ流れ。この卵から孵ったのが鳥と恐竜とのミッシングリンクとなる未知の新恐竜というのが本作の見所だ。なにしろあの「宇宙完全大百科」にも載っていないというのだからこれはすごい発見…!(このあたり、「宝島」でも感じたけど設定の雑さが目立つんだよな…。宇宙完全大百科に載ってないわけないだろ)。のび太はキューとミューと名付けた双子の新恐竜を育てていくが、ついに二匹を本来いた時代に返さなくてはならない時がやってくる。かくして、キューとミューの仲間を探す大冒険の幕が開けるのだった。

はぐれ恐竜の仲間を探すというストーリー自体は未知の恐竜という軸からすると真っ当だし、「桃太郎印のきびだんご」を思わせる新ひみつ道具を使って凶暴な恐竜たちを仲間にしていくくだりであったり、遭難したのび太が出会うとある恐竜(厳密には恐竜ではないが…)の姿からは旧作へのリスペクトを感じさせる。1億年以上の時を超えた壮大な時間ギミックも意表を突かれるし、クライマックスに訪れる大スペクタクルシーンは見ごたえたっぷり。そういえばこのあたりの表現とか、露骨に『君の名は。』を意識していて、そういう盛り上げ方は上手いんだよな…川村さん。それと、これまで歴史改変に慎重だったタイムパトロールが、のび太たちの歴史への介入を許すロジックも新鮮だった(T・Pボンを持ってくるところがにくい!)。なるほど、この手があったか、という感じ。そうそう、もちろん作画もめちゃくちゃいい。キューとミューの可愛さがあざといとも言える動きによって凄まじいエモみを生み出しているし、一部で話題になっていたスネ夫の指パッチンモーションのような細かな芝居も楽しい。個人的に印象に残ったのはアバンタイトルの「発掘体験コーナー」でのわちゃわちゃした動き。原画陣も相変わらず豪華だ。

さて、問題はこの作品の根幹に関わる「進化」についての部分。恐竜と鳥とのミッシングリンクとして描かれている本作の「新恐竜」は滑空することできるという特徴を持っている。しかし双子の男の子の方であるキューは当初から上手く滑空することができないでいる。ついに見つけた群れの中でも飛ぶことができないため阻害されてしまうキュー。必死に飛ぶための練習を繰り返すキューだったが、そんな時に親友ののび太が空中に投げ出されてしまう…。ここでの問題は、端的に言ってしまうと「個人の努力の結果として身についた能力」が進化という結果論的な現象と直線で結ばれてしまっていることにある。キューが友を救うために努力して飛べるようになった、そしてそれが鳥の祖先になったたのだという「物語」は、確かにわかりやすいし美しい。しかし進化という現象を説明するものでは決して無い。生物学的な進化とは単なる結果であって、そこに意志が介在するものではないからだ。映画の中では飛べないキューと逆上がりのできないのび太がアナロジカルに語られ、オスであるキューはグリーン、メスであるミューはピンクという「わかりやすさ」で彩られている。「ドラえもん」のメインのターゲットは確かに子供たちだが、そこでは尚の事「わかりやすさ」に対して繊細であるべきではないだろうか。近年のディズニー作品を観ているとその思いが強くなる。

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3ヶ月ぶりくらいに開催された「新文芸坐×アニメスタイルセレクション」のオールナイトにて。久々の開催かつ、終戦記念日に『この世界の片隅に』を流すということで新文芸坐の花俟さんも感無量という感じでした。そういえば、このラインナップだといつもは年代順に並ぶんですが、今回は逆順。思えば、終戦の日に『この世界の片隅に』を流したいという気持ちがあったのかも。トークでは特に触れられていませんでしたが。

久々のオールナイト、完走するゾ!ということで昼間も仮眠を取って挑んだんですが、中盤かなり寝てしまい…。申し訳ない…。この1週間前にもNHKでやっていてうっかり最初から最期まで見入ってしまったということもあり。ただ、やはり終盤の晴美さんがいなくなる辺りからは目が覚めて、その後は一気呵成と言った感じでしたが。

前半のコミカルなあたりもいいんですが、個人的には後半、特に終戦してからの展開が好みですね。お義母さんが隠していた白米を出して「全部はいけんよ」というくだりなんか、終戦の日という区切りの後も世界/日常が続いていくという物語/歴史の連続性を感じさせてくれてかなり好きなシーンだったりします。また来年もこの劇場で観られますように。

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すみません…。久々のオールナイトということもあり、時間帯がちょうど真ん中ということもあり、ガッツリ寝てしまいました…。これも後半、目が覚めてしまうタイプの映画ですね。まあ大体の映画はそうか…。それまで日常とファンタジーだったのに、いきなり任侠映画の世界に突入してしまうバーカルフォルニアのあたりとかすごく好きですね。人が死んでるのにこれだけ爽やかに終わる映画というのも珍しい。

ところで、片渕監督の次回作、1000年前の京が舞台ということで、この映画ともつながるところが多いんですが、トークでは監督が「1000年前の天気も頑張ればだいたい分かる」と仰っていて…。『この世界の片隅に』であれだけ拘った監督のことですから、きっと分かるんだろうな…。何年後になるかわかりませんが楽しみですね。

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片渕監督の作品の中で一番好きなのがこの映画なので、毎年かけてもらえるのがありがたいですね。Blu-rayも出てないし、DCPも無いから35ミリフィルム。もう名画座くらいでしかかけられないという…。

もう何回も観ているので特に言うことはないんですが、やっぱいいよね…としか言いようがない。絵的に地味だし、「世界名作劇場かな?」と思って観ていると実はSFなので嬉しい作品。片渕監督、またSFやってくれないかな。構想半ばだった『MM:9』のTVシリーズとか今からでもやって欲しすぎるし、それ以上に『この世界の片隅に』から連想するコニー・ウィリスの「オックスフォード航時史学科シリーズ」のアニメ映画を何卒…(新作はこれだと予想していました)。

ところでアニメスタイルオールナイトではトークの最初で初見の人に挙手してもらうという恒例のイベントがあるのですが、これだけ毎年やっているというのに今回も半分以上の人が未見ということで、ファンとしては布教のしがいがありますね。終わったあとにTwitterで検索すると初見の人の評判も概ね好評なのも嬉しい限り。また来年もよろしくおねがいします。

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いやー、あの予告でまさか観ることになるとは思わなかったな…。『全力少年』を真正面に持ってくる予告編OK出したの誰だよマジ。あの予告編でかなり損をしている映画だと思う。Twitterでの評判が良くなかったら観なかったはず。

かつて、強大な魔力が世界を満たしていた世界。科学技術の発達によって魔法は忘れ去られてしまい、ケンタウロスもフェアリーも車に乗って暮らしている。幼いころに父を病気で亡くした陰キャエルフのイアンは16歳の誕生日に父の残した魔法の杖と「24時間だけ死者を蘇らせる魔法」を受け取るのだが、魔法は失敗してしまい、父は下半身だけが蘇ってしまう。二度と会えないかもしれない父に会うため、イアンと歴史オタクの兄バーリーは秘宝である「フェニックスの石」を求めて一日だけの冒険の旅に出る。

「めんどくさい魔法より科学と資本主義が支配したファンタジー世界」という設定が素晴らしい。ちょうど先日読んだジャスパー・フォードの『最後の竜殺し』と同じような世界観だけど、こちらの主役は人間ではなくてエルフやサイクロプスやケンタウロスたちだ。ファーストカットが生ゴミを漁るユニコーンという衝撃的な絵面で、これだけで世界観が説明できてしまうのが実に良い。ケンタウロスの警官がパトカーに乗っていたり、飛び方を忘れたフェアリーたちが集団でバイクに乗ってカーチェイスしたりといったビジュアルも面白いし、かつては凶暴なマンティコアが支配していた冒険者たちの集う酒場はファミレスになってしまっているというこのギャップが楽しい。

そんな冒険するに値しないであろう世界を旅するのは何をやっても上手く行かないのび太みたいなエルフの少年・イアンとファンタジー(この世界では実際にあった歴史だ)かぶれの厄介者の兄・バーリー、そして魔法の失敗で下半身だけ蘇ってしまった父。24時間以内に完全に復活させないともう二度と父に会うことはできないのだ。父を蘇らせるための魔法の触媒「フェニックスの石」のある場所までは高速道路が通っている。しかしバーリーは言う。「そんなのわかりやすすぎる」と。おそらく大半の人間が思い描くような「わかりやすい」結末をこの物語は許さない。しかしイアンが最後にたどり着く光景の美しさは、それでもなお私達の胸に響くだろう。そしてまた、彼の兄もまたもうひとりの主人公であったことがわかるのだ。

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