今月のベスト1冊

メアリ・ロビネット・コワル『宇宙へ』


 1952年3月3日午前9時53分、ワシントンDCの沖合に巨大隕石が落下。首都を含む半径数百キロが突如として消滅した…。というとんでもない大災害から幕を開けるトリプルクラウン(ヒューゴー賞/ネビュラ賞/ローカス賞)受賞作。前評判通りの圧倒的な完成度とリーダビリティでまさにページをめくる手が止まらない大傑作だった。上下巻まとめて買うことをおすすめしたい(まあ一冊ずつ買うやついませんわな…)。

 いわゆる歴史改変ものに分類される作品で、この隕石衝突と首都消滅を契機としてアメリカを始めとする各国は宇宙植民を目指すことになるというのが大まかなあらすじ。隕石落ちたのはそりゃあ大災害だけど、それでなんで宇宙植民?という疑問が当然浮かぶのだけど、なんと海上に落ちたこの隕石が巻き上げた大量の海水によって今後百年足らずで地球の気温が100度以上になることが判明した結果なのだった。まあそれでも今の感覚からするとテラフォーミングでなんとか…と考えるところなのですが、時は宇宙開発華やかなし50年代。この時代の雰囲気を飲み込んで「ありえたかもしれないもう一つの宇宙開発史」を生き生きと描き出していく。なにしろ1957年のスプートニクを待たずして宇宙ステーション計画までぶち上がってくるこのハイスピード感。本書はコワルの未来史の最も若い部分を描いているので、思ったよりは進まないのだけど、それでもアポロ11号の月面着陸が1969年ということを考えると、このペースで進んでいったらどこまで行けるのだろうというワクワク感がたまらない。

 そして本作のもう一つの超重要な軸が女性たちを始めとするマイノリティの描き方だ。物語の語り手となるのはユダヤ人女性科学者エルマ。夫のナサニエルはロケット科学者であり、大戦では彼女自身が陸軍航空軍婦人操縦士隊のパイロットとして活躍していた。地球が居住できなくなるという事実を計算によって確かめたのも彼女であり、優れた科学者なのだが、一介の計算者として打ち上げをサポートしている。彼女はロケットパイロットが男性だけで占められていることに疑問を持ち、女性たちも宇宙に出れるように活動を始めるのだけど、そこは50年代の歪なジェンダー環境、やれ「女はトラブルに弱い」だの「計算ができない」だの、まあ考えつく限りのいちゃもんが飛んでくるわけです。やっとパイロット候補生になったと思ったら水着で着水訓練をやらされてその様子をマスコミが喜々として写真に収めるという…。そういった理不尽に対して敢然と立ち向かっていくエルマが実に頼もしく痛快なのですね。計算者として能力を示すのはもちろんのこと、航空ショーを企画して操縦者としての技量を広報したり、勇気を出してテレビの科学番組に出演して大衆的な支持を取り付けたり…。特に彼女が事あるごとに言う「植民なら女性が必要でしょう」という簡潔な理論には首肯することしきり。そして女性という属性だけでなく、同僚の黒人女性、アジア人女性たちも公平に扱うように働きかけていく展開もあって、このあたりの作者の目配りは嬉しい。

 と言っても、単なるジェンダー/フェミニズム小説というわけでもなく、例えば物語の「悪役」としてエルマの前に立ちふさがるパーカー大佐の描写などからは、この小説が人間の複雑性を描き出そうとしていることが伺えます。彼は大戦時にエルマの上官としてセクハラ/パワハラの限りを尽くした天敵のような人物。宇宙開発の現場においても、彼女がパイロットになることに公然と異議を唱えて妨害してくるという、清々しいほどのクズ男なのですが、物語後半に向かうにつれて、この絵に描いたような悪役の複雑な側面が次第に明らかになっていき…。完璧なヒロインのように見えるエルマが弱点を抱えているように、彼もまた一人の人間だったことがわかっていくという展開は熱いものがあります。

 …とまあほとんど隙のない作品なのですが、不満な点が一つだけ。えー、邦題なんとかならなかったんですかね…。グーグラビティが低いのもそうなんですが、原題は”THE CALCULATING STARS”(星々を計算する)というめっちゃセンスあるタイトルで、こないだ出たSFマガジンでもそのタイトルで紹介されてたのに…。『ドリーム (私たちのアポロ計画)』(原題は”Hidden Figures”)もそうだったけど、どうしてこうなるのか…。むしろあっちに寄せている感すらある。

 まあ邦題はともかくとして、今年のベストSFはこれか『三体Ⅱ』かという大傑作!普段SFを読まない人にも満を持しておすすめします!

おすすめの新刊

新刊の定義は過去3ヶ月以内くらいに発売された本でお願いします…

高松美咲『スキップとローファー』第4巻

 今一番楽しみにしている漫画であると言っても過言ではない、とにかく読むとハッピーな気分になる、地味なのにめっちゃ面白い青春マンガ。今巻は文化祭篇。主人公・みつみは生徒会の一員として、仲良しの男子・志摩くんは演劇のキャストとしてがんばる感じのエピソード。

 特に何が起こるわけでもないんだけども、しかしこの人物描写の繊細さたるや。例えば、みつみが同級生に頼まれた仕事を寝落ちしちゃって、そのことで陰口叩かれるシーンがあるんですが、そこに本人が後ろを通っちゃうわけ、しかもその前に志摩くんも同じところに居合わせちゃって…、で彼に慰められる。みたいな場。いやー、このもやもやした感覚!現実世界でもままあることではあるんですけども、描写するとなると結構面倒そうな感じがしません?そこでまたみつみがずずーっと落ち込んで暗いトーンになる…ということが無いのもこの作品の特徴で、とにかく主人公のポジティブさは観ていて救われますね。

この巻では志摩くんがクラス劇の「サウンド・オブ・ミュージック」で大嫌いだった演劇に向き合うのも見どころの一つ。劇を演ずる中で自分の中から湧き上がってくる感情を反芻して答えを見つけ出す場面はとても印象的で、セリフ詰まってんのにあの絶妙な感情表現で期せずして挽回しているも面白い。恋愛マンガ的には二人の関係が緩やかに変化していくのがとても素敵なのですが、今巻の最後のシークエンスの志摩くんの変化の表現が素晴らしんですよね。「なにか手伝うことあるかなーって」っていうこのアプローチ、めっちゃいいなあ。用事なんて造るもんだよなっていう。それまで大勢がコマの中に密集していてわちゃわちゃしていた文化祭の空間と、祭りの後のひっそりとした廊下の場面を対比させている静と動の表現も見事。

森見登美彦『四畳半タイムマシンブルース』

 まあ『四畳半神話大系』と『サマータイムマシン・ブルース』が合体したら面白くならないはずがないよな、というアレです。炎天下の京都の夏。『四畳半神話大系』のいつものメンツの元に25年後からもっさりした未来人がやってくるのですが、下鴨幽水荘に唯一あるエアコンのリモコンが水没して壊れてしまったため、それを取りに昨日に戻るという、いかにもこの作品らしいしょーもないタイムトラベルもの。で、過去を変えたら宇宙が消滅するということに気づいた「私」と明石さんが辻褄を合わせるために奮闘するという、まあ『サマータイムマシン・ブルース』がまんま『四畳半神話大系』の世界で展開するわけですね。未来人も田村くんだし、カッパ伝説はあるし、ラストの展開もほとんど同じだし。とはいえ、そこはさすがの森見登美彦。「四畳半」ならではのテーマが浮かび上がってくるのがこの作品の醍醐味であります。

 『サマータイムマシン・ブルース』のキーアイテムを下鴨幽水荘に結びつけるというアイデアも秀逸ですが、様々な伏線が張り巡らされて回収されていく気持ちよさはさすが上田誠脚本といった感じ(本作では原案ですがほぼ脚本でしょう)。なにより、「四畳半」の原作が15年前、慣れ親しんだアニメ版でも10年前ということで、2020年にもなって新作が読めるというサプライズが嬉しすぎるわけです。冒頭の「私」の独白からして浅沼晋太郎の超絶長口上で脳内再生されるのはズルいですよこれは。小津、明石さん、樋口さん、城ヶ崎先輩といったいつもの面々も15(10)年前と全く変わっていなくてもう涙が出てしまう。かつて何度も聞いたフレーズも嬉しいし、ゲストキャラのもっさりした未来人・田村くんのキャラクターもいつものメンツに負けない雑な感じで良いのですよね。25年後にも下鴨幽水荘が残っているというのも驚きですが。

 さて、先日、ヨーロッパ企画による初の長編映画『ドロステのはてで僕ら』が上映されましたが、続けて鑑賞すると、この『四畳半タイムマシンブルース』とも通底する時間観が見えてきます。『ドロステのはてで僕ら』では「2分後が映るモニター」がキーとなって登場し、未来を観ているはずがいつまにかその未来に拘束されてしまうというのが面白みの一つになっているわけですけれども、本作においても「過去は変えられない」というのが条件として出てきます。本家『四畳半神話大系』が複数の時間軸に分かれた平行世界の「私」の物語であるのに対して、本作『四畳半タイムマシンブルース』はその平行世界の一つとして直線的な時間軸を描いているのが面白いところ。本家が横軸なら本作は縦軸の作品といったところでしょうか。ところで『ドロステのはてで僕ら』では最終的に未来を変えることで自由を得るのですが、『四畳半タイムマシンブルース』はより消極的な「自由」を描いているのもポイントですね。この世界の時間軸は最初から最後まで全て決まってしまっていて、「私」は「しかしそれでは未来になんの自由もないように聞こえる」と当然の疑問を呈するのですが、それに対して明石さんは「知らないということは自由です」と返すのですね。ここがまあこの作品の「四畳半」的というか森見的な読みどころなのだと思います。この自由の概念は例えば(カート)ヴォネガットの言う「そういうものだ」に近いものがあるように感じるのですが(そういえばこのフレーズがが出てくる『スローターハウス5』もまた(変えられない)時間軸を自在に行き来する物語である)、ここでは未来ある若者たちが語ることでよりポジティブな意味合いが付与されているように感じます。

 それにしても『四畳半神話大系』的でもあり、『サマータイムマシン・ブルース』的でもあって実に贅沢な作品でありました。『サマータイムマシン・ブルース』のアニメーションリメイク映画としてこっちもやってくれないかなあ…。湯浅監督は忙しそうだから別の人でもいいので…。

 「しかしそれでは未来になんの自由もないように聞こえる」

 「でも未来のことなんて私たちは何も知らないわけですから。何も知らなければなんでもできます。つまりそれは自由ということではないでしょうか?」

(『四畳半タイムマシンブルース』p.221)

ガレス・L・パウエル『ウォーシップ・ガール』

 主人公は星間紛争中の大量虐殺に加担したことからPTSDにかかってしまった宇宙戦艦のAI。人間の少女と犬の遺伝子をベースに作られた「14歳の少女AI」が主人公でしかも邦訳の一人称は「僕」というラノベみたいな設定(しかも表紙は安倍吉俊氏)なのだけど、これが思いの外重い…!著者のガレス・L・パウエルは2013年にも『ガンメタル・ゴースト』で英国SF協会賞長編部門を受賞していて、本作も同賞を受賞している。…のだけど、個人的に『ガンメタル・ゴースト』がだめだったんすよねえ…。第二次大戦の仮想現実で隻眼の猿パイロットが大活躍するという、プロットだけ聞くと面白そうんだけども…。今再読したら面白いかもだけど。

 というわけで、本書も時間が空いたからとりあえず読むかーくらいの軽い気持ちで読み始めたのだけど(あ、あと邦題がとてつもなくダサいのはなんなん?)、これがまあ今年ベスト級に面白い!主人公はPTSDを患った元宇宙戦闘艦のAIというのは前述の通りで、彼女(船体も含めて)は国際救助隊…というか星間救助隊的な組織に所属して人々を救っている。彼女の乗組員は元敵国の艦長サリー、ムキムキのレスキュー隊員・アルヴィ、そして謎多き蜘蛛型異星人のエンジニア・ノッド。冒頭、サリーは自身のミスでもう一人のベテランレスキュー隊員・ジョージを失い、そのことを常に反芻することになる。物語は複数の視点人物の一人称という形で紡がれていくが、読みすすめるうちに、ここで語る人々は皆、罪を犯した人々だということに気づく。つまりこれは贖罪の物語なのだ。

 さて、傷心のサリー艦長ほかを乗せたレスキュー艦<トラブル・ドッグ>は救助信号を受けて謎多き星系「ギャラリー」へと向かう。謎の古代異星文明が惑星単位でオブジェ化した、紛争地帯ともなっているこの星系で旅客船が襲撃を受けたというのだ。途中、立ち寄った補給地点で対立する2つの勢力のやっかいなスパイ2人を受け入れつつ、ギャラリー星系に向かうトラブル・ドッグだったが、そこには恐るべき陰謀が待ち受けていた…。

 とまあ、あらすじはよくある感じのあれなんですが、登場人物の造形が非常にいい。とりわけ、視点人物となる5人は異星人であるノッドを除いて過去に罪を犯した人々であり、過去を省みる態度に個性が現れているのが面白い。例えば、艦長のサリーは物語の序盤に自らの判断ミスで死んでしまったジョージのことをいつまでも悔やみ続ける。読者にとってはほとんどモブに近い存在であるこのおっさんの死について本当に最後の最後まで自らの責任について問い続けるというこの誠実な態度が、作品全体に通底するテーマと共鳴してとても印象的だった。この女性艦長、すごく「アニメ映え」する方でして、野球帽にTシャツというめっちゃラフな格好で指揮を取ったり、ドッグの片隅の救命ボートの中で丸まって寝たりするという…。読んでいて思ったのはちゃんと大人になったミサトさん(エヴァの)。もちろんタイトルでもある主人公のAI、<トラブル・ドッグ>も魅力的なキャラクター。彼女は重巡洋艦として作戦に従事する中で宇宙でも例を見ない「知性化ジャングル」を爆撃し、何億もの生命を奪っている。軍の命令に従っただけ、と言い訳すればできそうなのだけど、彼女はそれを機に人命救助団体のレスキュー艦へと転向する。このあたり、まあよくありがちなのだけど、人間以上に人間らしいAIなのだけど、先に書いたように彼女は人間と犬の遺伝子から作られたAIなんですね。というか生体脳が艦に載ってるわけですが。武装を取り払われた彼女が謎の襲撃者たちと渡り合っていく頭脳戦も見どころの一つ。あ、あと個人的には、過去に囚われ続ける中年スパイが自らの人生に意味を見出していく終盤の展開が非常に心に残りました。

 とまあ過去に向き合っていく深彫された登場人物たちが非常に魅力的なのだけど、物語の舞台となるギャラリー星系に隠された謎も実に壮大で読みごたえがあります。そして例によって本書は三部作の第一部!今巻だけできれいにまとまっている様に見えるのですが、ここからさらに物語が膨らんでいくとのことなので、続刊が楽しみです。

週末翻訳クラブ バベルうお『BABELZINE』Vol.1

https://booth.pm/ja/items/2128380

 翻訳小説同人誌。ほとんどが本邦初紹介の作家ばかりで、驚くべきことに200ページ近いボリュームで1,000円という頒布価格!これもうボランティアじゃん。とりあえずBOOTHはブースト(上乗せ)が可能なので500円追加しておきましたが…。それにしても、プロの翻訳者たちも「素人が仕事を奪う!」なんて野暮なことは言わずにこぞって買っていたのが印象的でした。ちなみに初版は決済ミスで買えず、再版を購入。

 知っている作家は冒頭のピーター・ワッツぐらいだったのですが、その次に置かれたリッチ・ラーソン「肉と塩と火花」がもう今年ベストの大傑作で…。知性化されたチンパンジー・クーと人間の刑事・ハクスリーのバディもの。とても賢いが言葉の話せないクーは手話でバディと会話する。彼は世界でただ一匹の知性化チンパンジーだ。一匹と一人は「エコーガール」と呼ばれる身体レンタルが引き起こした殺人事件を追う。クーは密かに黒幕と接触するが…。この世界で一匹だけの知性化チンパンジーの抱える孤独の凄まじさたるや!母親(もちろんただのチンパンジー)との対面の場面など、かなり辛くなってしまう。実はファーストコンタクトものでもあるのだけど、クーがああいう選択をしたのも実によくわかる。淡々と日常に戻っていくクーの世界が物悲しく印象深いのだが、そこにはバディとの朝食という希望も示されている。物語の背景となる「エコー(ガール/ボーイ)」の存在も、ネットワークと可換性の時代においては面白い要素だ。キャラクターと作品世界が非常に魅力的なので、連作短編集とかで読んでみたい。

 他、特に良かったのは以下の3篇。S・チョウイー・ルウ「母の言葉」は言語能力が売り買いできるようになった近未来のアメリカが舞台。主人公は中国系アメリカ人の母親で、娘の教育費用を賄うために自らの母語である中国語能力を売却しようと試みる…。ここには移民やグローバリゼーション、民族的アイデンティティに関する問題が詰め込まれている。さらには彼女が中国語の能力を失うことで自らの母親との会話ができなくなるという親子三代に渡る物語になっているのも面白い。ソフィア・サマター「セルキー譚は負け犬のもの」は、スコットランドの異類婚姻譚の一種である人に化けた雌アザラシの伝承に材を取ったガール・ミーツ・ガールもの。トム・ムーア監督のアニメーション映画『ソング・オブ・ザ・シー うみのうた』に出てくるアレですね。セルキー譚を朴訥な民話ではなく「屋根裏部屋に隠されたコート」によって女性を縛るというジェンダー的な視点から語り直されているのが特徴で、主人公の母親が本当にセルキーだったのかそうでないのかが曖昧にされているというのも上手い。語り口の緩やかさが癖になる読み応えなのは訳者の力量か。ベストン・バーネット「エンタングルメント」も「肉と塩と火花」と同じく孤独を描いた作品。多くの銀河系文明と交流している未来。惑星レンに生まれただ一人地球に帰化して生きる「僕」が冒険の果てに真実を知る。異星人がボットに入って地球人と交流していく話なのだけど、彼の交際遍歴のような形式になっていて、セックスが積極的な話題になるのも面白い。もっとも彼自身はアセクシャルなのだけど。ボットを通じてパートナーとデートするといったあたりの描写はコロナ禍の中にあっては妙にリアリティのあるものとして迫ってくるし、孤独というテーマについてもそうだ。なんという想像力!

 他にも冒頭に置かれた巨匠ピーター・ワッツのすげー読みづらい超越知性もの「血族」やジェンダー的に逆転した白雪姫モティーフの掌編マリ・ネスの「キスの式典」、クリミア戦争を舞台にしたサイボーグ猿を操るオルガン弾きを描いたジェームズ・ビーモン「オルガンは故郷の歌を奏で」など佳作・傑作が盛りだくさんでお腹いっぱい。Vol.2も楽しみにしています!

林譲治『星系出雲の兵站―遠征―』最終第5巻

 いやいやこれはもう林先生お疲れ様としか言いようがないですね。前巻までの広げに広げた風呂敷をここに来て一気に畳み込む匠の技!確かに最後の方は駆け足になっている感じはあるのですが、それにしてもきれいに畳んだなあという印象が強い。過不足無く畳んでいて、別次元に飛翔するようなぶっ飛び方は無いのですが、これまで丁寧にファーストコンタクトと内政描写を積み重ねてきたこの作品にふさわしい。

 そもそも、前巻の最後であまりにも大きすぎる事象をぶっこんできてからのちゃんと纏めるというのがすごいよね。ネタバレになるから言えないけど、あれだけのことが起こっているのにむしろ淡々と進んでいくのがこの作品ならではという感じがする。泥臭い愁嘆場とか現場でのミクロな救助活動をざっくりとオミットしてマクロ的/戦略的/政治的な視点から事件を見せるというこの取捨選択の妙。暫定政府立ち上げのあたりの緊迫した描写は今巻の見どころの一つ。

 そして本筋にあたる人類とガイナスの謎。人類の播種船が数千年前に敷島星系を通りかかっていたというのは前巻までにわかっていた事実ですが、最終巻ではその裏に隠されたまさかの真実が明らかに。4巻の最後も衝撃的でしたけど、ここで暴かれる「人類の罪」には更に驚かされましたね…。4巻の最後を読んだあとは「ガイナス最悪やんけ!」って思ってたんですが、最終巻の中盤まで読んだら「人類のほうが最悪じゃん…」ってなってしまいました…。集合知性であるガイナスの正体とか、「最後の最後でそんなんありい!?」と思ったりもしたんですが、しかしこの解釈というか正体が普通にしっくり来ますね。烏丸先生の罪に対する割り切り方も、まあそれしかないよなと思うし、このあたりのバランス感覚も見事ですね。希望のあるエピローグも、あれだけ人がバンバン死んでる本編を読んだ後に爽やかに終われて素晴らしい。それにしても「遠征」では烏丸先生が序盤から最後のが最後まで主人公でしたね。あんなキャラが濃ゆいおっさんがほぼ主人公というのも面白いポイントでありました。そして最後は三条さんのココちゃんが締めるという。うーん、らしいなあ。

 なにはともあれ、2年に渡る全9巻(めちゃくちゃハイペースだ…)、林先生お疲れさまでした!次回作も期待しています!

藤本タツキ『チェンソーマン』第8巻

 もうこれわけわかんねえな…。休むヒマのない超展開の連続。毎話毎話予想外のことが起きすぎる。『ファイアパンチ』よりも過激な展開だけど、今回は狂信者が増えてるので打ち切りなさそうなのがありがたい。しかしこれジャンプ本誌で毎号読んでる人は頭おかしくなるんじゃないか?まあ単行本でまとめて読んでてもあれですが、先が気になりすぎるという点で。『ファイアパンチ』のオチがそれほど好きではないので(美しいのですが)、どうにか最初の頃のバカバカしいノリに着地して終わって欲しいところ。言うててなんだけど、毎話毎話これで終わりでもいいんじゃないか?と作者も思ってるんじゃないかという感じですね…。打ち切り対策?

 まあ今巻も見どころしか無いんですが、「ぞの代わりに……地獄の悪魔よ このデパートにいる全ての生物を地獄へ招いてください」のくだりとか早速一部でネットミーム化していて、やっぱこの漫画力の強さは半端ないですね…。天使の悪魔がいるので「闇の悪魔」とか言われてもフーンって感じだったんですが、アストロスーツの参道の訳わからなさとか本体の造形の気持ち悪さとか腕スポーンとかはさすがに度肝を抜かれますね。銃の悪魔より強い?と言われるとなんか微妙な感じがしますが…。

 「知性≒従順さ」というのがこの作品のテーマの一つだと思っているんですが、今巻の闇の悪魔の力を得たサンタクロースとデンジの戦いのくだりとか「宇宙の魔神」のあたりなんかは象徴的なものを感じますね。「馬鹿だから強い」に説得力が与えられているというか。「馬鹿じゃねえ!こちとら毎日教育テレビみてんだぜ!!」はデンジらしいいいセリフ。

伴名練(編)『日本SFの臨界点[恋愛篇] 死んだ恋人からの手紙』

 『なめらかな世界と、その敵』で話題沸騰のSF作家・伴名練先生による傑作アンソロジー。同時発売の「怪奇篇」の姉妹編となります。「怪奇篇」は本当に傑作しか載ってないなくて驚いたんですが、こっちの恋愛篇はそこまでではなかったかな…、という感じ。まあ個人の感覚の問題で、全体的には完成度の高い作品ばかりなのですが。それよりも気になったのは「恋愛篇」と銘打っておきながら、恋愛ものが少ないことですかね…。「人間の関係性」に焦点が合った作品が多くて、このあたりは昨今の百合SFブームと呼応するところがあるように感じました。

 特に良かったのは以下の3篇。副題作でもある中井紀夫「死んだ恋人からの手紙」。地球と外宇宙に分かたれた恋人たちによる書簡もの。やはりアニオタ的には『ほしのこえ』を連想するのだけど、こちらは亜空間通信による時系列シャッフルが読みどころ。亜空間を通して存在の不確定さ、現実の不安定さが顕になっていくというテーマもいいですね。大樹連司「劇画・セカイ系」は藤子・F・不二雄の『劇画・オバQ』をもじったタイトルからもわかるように著者お得意のメタフィクションもの。かつてセカイを救うために敵に突貫していったはずの戦闘兵器少女が15年の時を隔てて中年となった元少年の元へと帰ってくる。フィクションと現実との地続き感。そしてかつての思い出を主人公はラノベとして出版しているという…。キャラクターの消費という問題にも繋がっていくようなテーマで実に読み応えがある。僕らが大人になった時、かつて共にいたキャラクターたちはどうなってしまうのだろう。高野史緒「G線上のアリア」を恋愛ものと言うのはかなり抵抗があるけど、SFとしての質の高さは折り紙付き。電話回線網の存在する18世紀ヨーロッパという、高野先生おなじみの歴史改変SFで、中盤から始まる怒涛の歴史講義が圧倒的素晴らしさ。やっぱ中世ヨーロッパの科学と言ったらイスラム世界よね〜、というわかりみ。恋愛要素は…まあほぼ無いすね…。インターネットの登場を予感させるオチがタイトルに繋がるのも好み。

 純粋な恋愛SFがあまりないけど、他であまり読めないSF作品をまとめてくれているのはやはりありがたい。「怪奇篇」も素晴らしく良かったし、伴名先生編纂のアンソロジー、毎年1冊くらい出してくれたらめちゃくちゃ嬉しいな〜。SF初心者から玄人まで幅広くおすすめ。