今月のおすすめ

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 当然のように期待して行ったわけだけど、期待を超えてくる面白さだった。前作と違ってかなりストレートなボーイ・ミーツ・ガール+ファンタジーなのだけれど、まあとにかく結末は驚かされる。そこまでは割とオーソドックスで前作と比較すると若干退屈ですらあるのだけど、その後に『雲のむこう、約束の場所』の向こう側を描いたような凄まじいエピローグが待っている…。

 もちろん、この種の選択が見られる作品も少なからずあったし、そもそも新海監督自身が『雲のむこう、約束の場所』ですでに描いてはいるのだけれど、それを二人だけの関係性の中で完結させず、その後の世界の有り様を、ある種の諦観を持ちつつも、希望のあるものとして描ききったという点は素直に評価したい。「僕らはきっと大丈夫」というセリフはあっけらかんとしているようだが、物語の核心に迫る重い言葉だ。世界の有り様を「この世界は元から狂ってる」ものとして受け止める姿勢は(カート・)ヴォネガットが言うところの「そういうものだ(”So it goes.”)」のようなため息交じりの肯定だが、物語の最後で主人公の帆高はその狂った世界に対する責任の一端を自覚する。世界を自分から切り離されたものではなく、その片隅に生きるものとして、選択の結果を引き受けるということ。そしてその世界で生きていくということ。これまでの作品とは違って、主人公たち、そしてその世界で生きる人々の「その後」を描いたエピローグからは新海監督の大きな変化が感じ取れる。

 さて、新海監督と言えば緻密な背景美術だが、今回ももちろん素晴らしい。特に良かったのが主な舞台ともなる新宿歌舞伎町。開幕早々「バーニラ、バニラ、高収入!」で始まるのは驚くとともに笑ってしまったのだけど、これに象徴的なように、実際の建物や看板がこれでもというくらい登場し、さながら現代都市の記録のような様相を呈している。片渕須直監督の『この世界の片隅に』は戦前の呉の街を再現する試みだったが、本作はまるでその現代版のようにも写る。小物にもポテトチップスやらからあげクンやらカップヌードルやらがこれみよがしに画面に描き出され、『君の名は。』の大ヒットを受けての今作という立ち位置の面白さを感じたのだが、人によってはうざったさを感じるかもしれない。『ワールド・ウォー・Z』がペプシコーラのCMだったのを思い出すが、それほど露骨ではない。どれも日常生活に密着しているものだから違和感がないというのもあるかもしれないけれど。

 作画・演出面では後半のアクションシーンが見どころ。とりわけ、帆高が束の間の青空の下、陽菜のもとへと走る場面。線路の上と言えば『雲のむこう、約束の場所』を思い出すが、あちらで物語の象徴たる「塔」へと歩みを進める構図は、炎天下で懸命に身体を動かし彼女の方へと急ぐ少年の姿に置き換わっている。この場面の穂高の身体の重みを感じさせる作画が良い。普通の映画であればワンカットで済ませてしまいそうな場面を、次第に疲弊していく少年の姿を何カットも連ねることで、世界の広さと空気感をしっかりと伝えていく。地に足がついた世界を見せる一方で、その後の場面では一気に雲の上へと場面を移すという展開も素晴らしい。

 若干、気になったのは前作に比べて脚本のメリハリが無いこと。『君の名は。』では前半のコミカルな場面と後半のシリアスな展開とが鮮やかなコントラストを成し、素晴らしいタイミングで流れるラッドの楽曲が物語を駆動していたが、今作ではなんだか割と適当なタイミングでラッドの曲が使われているような気がする。どれも流れ出した場面では盛り上がるし、どれもいい曲なのだが、どうにも印象に残りづらい。陽菜のもとにたどり着く非常階段の場面は流れが良く素晴らしかったのだけど…。まあとは言え、それほど気になる欠点ではない。

 余談ですが、一緒に観に行ったオタクが「全然中身無くてワロタwww」とか言ってて(え、待ってこれで中身無いって言っちゃうの??)って思ってたんだけど、そいつが「○○と○○(一応ネタバレになるので伏せますね…)どこにいたの??」とか言い出して、節穴eyeすぎるのが発覚したのが良かったです。

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観た映画一覧(時系列順)

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 湯浅監督大大ファンとはいえ、これはスルーしようかなと思ってた映画。だいたいさあ、「死んだ恋人が帰ってくる」ファンタジーなんていかにも微妙な邦画がやりそうなお涙頂戴映画っぽいテーマじゃん。出てくるモティーフもサーフィンとかポピュラーソングとかだし、80年台かよ!って感じ。先日も結構好きなアニメーション監督(誰とは言わないけど)が路線変更したら爆死してたし、身構えちゃうよね…。ということで、期待値を下げて観に行ったわけですが、ベタなテーマとビジュアルからは想像できないほどユアサイズムが爆発していて今年のアニメーション映画の中でも3本の指には入るんじゃないかというくらいの出来!

 やはり最初に言及しないといけないのは映像表現の豊かさ。それも、単に作画がいいとか、ビジュアルが豪華だとかいうことではなく、「湯浅監督らしい」「アニメーションとしての」表現という点が素晴らしい。これまでの作品の漫画的な表現は残しつつも、リアル寄りの演出が多く、そのバランス感覚に見どころがある。あくまでも日常の丁寧な作画をベースにしつつも、そこに湯浅監督ならではの表現が入り込み、不思議な感覚をもたらしている。例えば、浜辺でコーヒーを点てる所作の細やかな動き卵焼きのふっくらとした感覚の伝え方、そして幾何学的でありながら確かに液体であることを主張する水の表現。この日常と非日常の淡いを匠みに表現する湯浅監督の手際の良さときたら!そういえば、物語自体も「死んだ恋人が帰ってくる」、いわゆるリンボ(辺獄)の話なのだから、そういった意味でも監督の表現手法は的確なのであった。

 ストーリーも「大切な人の喪失」という定番だが難しいテーマに真っ向から取り組んでいて、新しい領域に踏み込んだという印象。死というテーマだと『カイバ』があったけれど、現実世界に軸足を移した本作ではよりストレートにこのテーマに立ち向かっている。「恋人の死」という大きな事件を人生における「波」と捉える視線が、古臭いと思っていたサーフィンの要素と上手く絡み合っている点が印象に残る。人生を海に例える言葉は多かれど、ここまで身体性を全面に押し出してきた作品は珍しい。文字通り「死」を乗り越えていくクライマックスの「波乗り」はビジュアルだけとっても圧巻の一言であり、監督の代表作でもある人間賛歌喜劇『MIND GAME』の精神にも連なっていく。主人公二人の人間性も良いし、脇を固める人々も暖かく優しい作品。個人的な推しはヒョウモンダコの洋子ちゃん。

 それにしても湯浅監督、毎年毎年コンスタンスに質の高い作品を送り出してくるのには驚かされる。しかも毎回違ったテイストであると同時に軸となる作家性も強い上にしっかりエンターテイメントしているという。あの人とかあの巨匠とか、大衆迎合型の作品を繰り出してくるとたいていはピント外れなものが来るんだけどね。作家性ってアクの強さという毒にもなるけれど、湯浅監督はしっかり乗りこなしている感じですね。サイエンスSARUのFLASH制作というのもスピード感の秘密かな。来年は久々のTVアニメ(『映像研には手を出すな!』)が控えているし、ますます活躍が楽しみ。

 ところで、劇中に出てくる茅ヶ崎の喫茶店が素敵すぎるのですが、実在するのでしょうか…。めちゃくちゃ行きたいのですが…。

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 『アベンジャーズ/エンドゲーム』の蛇足だと思って軽い気持ちで観に行ったわけですよね。主人公はトムホだし、修学旅行でMJ(ゼンデイヤ)とイチャイチャする程度の話かと思ってたんですよ。で、なんやかんやで敵が襲ってきたりしてドタバタコメディ系の話かな、と。

 で、蓋を開けてみればこれが全く予想外の展開。アメコミ読まないのもあって、敵の正体にも驚かされたし、ラストの展開も衝撃的。考えてみれば、MCU第三フェーズの最後が単なるコメディ映画であるはずがないんだよな。というよりも、次の第四フェーズへ向けての新たなる戦いの幕開けといった感が強い。「エンドゲーム」のサノスはその内面に複雑な事情を抱えつつも、「わかりやすい悪」として倒されるが、今作における敵は嘘で塗り固められた存在だ。実態は一般人と言ってもいいのだけれど、包み込む虚構は社会という膜に接触したとき、これまでとは違った種類の脅威として立ち現れる。戦いの舞台は魑魅魍魎が跋扈する異星や人里離れた荒野ではなく、人々の暮らす都市に移り、敵もまたそこに暮らす人々へと変わる。前作で中小企業のおっさんと死闘を繰り広げた「ご近所の守護者」たるスパイダーマンをこのパラダイムシフトの場に持ってきたシリーズ構成の慧眼には驚かされる。

 本作の黒幕が最後に残した「人々は信じることを求める…」という言葉は、例えば一見すると遠く離れた場所にある是枝裕和監督の『万引き家族』のような作品へもつながっている。「分割された複雑な世界」ではなく、例えそれが幻想であっても「わかりやすい大きな物語」を求める大衆心理はまさに現代に生きる我々が抱える病理のようなものだろう。サノスという「絶対悪」がいなくなった後、ヒーローたちは何と戦わなくてはならないのか。ここで言う「ヒーロー」とはまさに我々自身のことであり、ホログラムの中で翻弄されるピーター・パーカーの姿そのものだ。

 余談だが、一番かわいそうだったのは引率の先生。一眼レフは落とすし行く先々でモンスターに襲われるし行き先はコロコロ変えられるし…。お疲れ様でした。

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 うーん、バカ映画だと思って観に行ったのは自分だけどさー。観ているうちに、「なんでこれを映画館で?」という気持ちが拭えず…。いやもう覚悟してきているはずなんですけれども、やっぱりTOHOシネマズの大画面でDVDスルーのやつを観ているとなんだか虚しさが募ってきて。いや、まあ満足はしているんですけどもね、なんだろうこのもやもや感。少なくとも言えるのは前作の方が良かった‼ということですね。

 中身はまあバカ映画なので細かく言わないけども、ツッコミどころが多すぎて最高(サイテー!)。前作で地球が居住不可能になって月面ナチス基地に逃れた2,000人くらいの人々。施設は日々老朽化していくし、物資もないし、食い物もないもうだめだーという状況。あ、そうそう時代的には前作の25年後くらいで主人公のオビはジェームズとレナーテの娘。宇宙船を直して脱出したいがエネルギーがない、という状況で実は空洞だった地球内部に膨大なエネルギーを持つ物質があるとの情報が入り、オビと仲間たちは地球へ向かうが、果たして地球空洞世界は実は太古の昔から人類を影から操っていたレプタリアン(トカゲ人間)たちの世界だった…!という、あまりにも日本人向けじゃない設定がすごい。よくこれでいこうと思ったな。レプタリアン陰謀説で「ああ、あれね」なんて言うやつ、オカルトかぶれのキチガイしかいなくねえ?ああ、そうそう月面で幅を利かせているのは(故)ジョブズを崇める「ジョブズ教」で、こいつらで一本作れるんじゃないかってくらいの濃さだった。なにしろ、説教の始まりが「ここは閉じた系ですか?オープンな系ですか?」から始まるのが良い。アップル信者にはたまらない(のか?)。ちなみに脱獄している信者は問答無用でハードウェアごと爆破されます(まさかこれが伏線になるとは)。唐突に入る『1984』(マイケル・アンダーソン版)のパロディとか、なんでも好きなもん詰め込まれててバカの作った『プロメア』って感じだった(どちらかというと褒めてる)。地球内部にめっちゃ環境の良い空間があるんならそっち住んだほうがよくねえ?と思ったけども、たぶん作ってる方も忘れてたんだろうな。いやもう突っ込みどころが多すぎてここに書いちゃうと長すぎるので割愛。

 いやしかし、良くこれをかけようと思ったなTOHOシネマズ。結構埋まってたから需要はあるのかもしれないけども。イカれてるぜ!(いいぞもっとやれ) あ、あと良かったのはエキストラの名前を細かいところまで出していたところですね。なんかインディーズ的な優しさみたいなものを感じた。次回作があるとしたら火星でナチスの天敵のあいつらと対決するような気がするんだけど、どうなるのか…。もうナチス要素がないが…。IRON SKY UNIVERSEってことはやる気は満々っぽいが…。

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 前の三部作が完璧だったので、どうしたって賛否両論になるのは避けられないよね…。3でこれ以上無いくらいきれいに終わってるし、ジョン・ラセター自身、「ウッディとバズ・ライトイヤーの物語はアンディと共に完璧なエンディングに仕上がったため、続編を製作する意思は全く無かった」と言ってるくらいだしね。ただ、個人的には「終わってしまった物語」のその後を描いたという点を評価したい。これはちょうど最近読んだ飛浩隆の『零號琴』が「エンディングの向こう側」を描いていたことに感銘を受けてということもあるのだけど。アンディの元から離れたウッディたちはどうなるのか。前作では一つの可能性として永遠に新しい子どもたちがやってくる幼稚園という選択肢が提示されたが、本作では更にもう一つの選択肢が現れる。シリーズの根幹である「おもちゃ」としてのあり方を否定するような結末だけに反発されるのも頷けるが、ここに至ってウッディは「呪いとしてのアンディ」からようやく開放される、という見方もできるだろう。しかし、その呪いから逃れた後に幸せが待っているかというと…。この話は、何かを得るためには何かを捨てなければならないという選択の物語であり、それまで選ばれる側であったウッディが自ら何かを選び取る、という自立の物語でもある。バズの決め台詞である「無限の彼方に、さあ行くぞ!」が全く違う意味を帯びて発せられる場面は素晴らしい余韻を残す。

 キャラクター的にはボーの再登場がとても嬉しい。陶器なのにガンガンアクションするし、2までのドレスを仕立て直したマントを纏ってウッディを導いていくあたりは昨今のジェンダーロールについての議論が反映されているようで面白い。「キャラ変わってるじゃねえか」という批判はありそうだけど。腕が折れてもテープで直すあたりがアメリカンで頼もしいし、前作で出られなかった分を取り返すかのように主役のウッディを差し置いて活躍していく。今作のディズニー・ヴィランであるギャビー・ギャビーも、ウッディのはらわたを狙う恐ろしさと「誰かの特別になりたい」というおもちゃらしい素朴な想いを抱いている魅力的なキャラクターでとても良かった。彼女の周りに侍るベンソンたちもチャッキーっぽい不気味さがあって楽しい。ああ、あと本作の裏主人公とも言えるフォーキーね。この映画は、彼が「おもちゃ」としての自覚に目覚めていく話でもあるんだけど、本作の最後のセリフがこのフォーキーと彼の後にボニーによって新たに作られたフォーキーそっくりのおもちゃによって交わされる、「私たちなんで生きてるの?」「さあ、なんでかな?」という会話なのは非常に示唆的だと思う。ダブルミーニングになっているのも上手い。

 まあそれはそれとしてボニーまじ許せねえよな!「わたしのカウボーイ♪」とか言っておいて…。子どもだからあんな感じだとは思うけどさあ…。アンディがかわいそう。ああ、あと気になったのはバズが痴呆老人化してたことかな…。特に「内なる声」に導かれてウッディをおいて帰っちゃう展開にはドン引き。お前もう別人じゃねえ?ただ、この「内なる声」というギミック自体は見ようによっては面白く、偽の「内なる声」の軛から逃れられないバズと、そうではないウッディの対比がエピローグに響いてくる。そう考えると、ギャビー・ギャビーの存在とウッディのボイス・ボックスの行方は象徴的な描かれ方をしていた。

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 いつもの蜷川実花でしたね…。すごく久々に彼女の作品観たけど、まあ無理な人は無理だろうな、といういつものやつ。ていうかよく考えたらまだ彼女の監督作品って3作しかないのね…。『ヘルタースケルター』が2012年だから7年ぶり!

 ストーリーもまあイカれてるんだけども、やはりビジュアルの圧がヤバい。ほぼワンシチュエーションなんだけど、タイトルでもあり舞台ともなる「ダイナー」の内装がめちゃくちゃ素敵なんですよね。あの装飾過剰な感じ!いつもは浮いてネタにされがちな藤原竜也の楽しい演技も全く違和感がない。といいつつも初っ端の「俺はぁ〜〜ここのぉお〜〜王だぁああああ〜〜」「砂糖の一粒までもが!俺に従う!」は笑ってしまったのだけども。いやでもマッチしてるよマジ。主人公の玉城ティナのウェイトレス姿も最高にかわいい。いまさらフレンチメイドかよ〜って感じの安っぽさなんだけど、むしろそれが良い。一周忌の時の衣装が特に良かったですね。

 映像面で一箇所だけ気になったのは2019年にもなって『マトリックス』のベタベタなパロディやってる場面で、かなり滑ってましたね…。とはいえ覚えてる中年連中はメインターゲットじゃないからどうでもいいということなのかな。

 ああ、あとお料理ものなのでメシの美味そうなところも良かった。殺し屋専門ダイナーというだけあって、舞台となる「ダイナー」は薄暗い空間なんだけど、そんな場所で存在を主張していく色鮮やかな食材たちの美しさが映える。最後の晩餐に出てきた6種類の動物のひき肉を使った巨大ハンバーガーの迫力もすごいし、「スキンのスフレ」の繊細な作りも印象深い。敵に追い詰められてるのにお料理教室が始まる展開は笑ったけど、全体的に狂った話なので、個人的にはオッケーでした。むしろ良い。ハンバーガー食べたくなる映画。ああ、あと犬も可愛い。犬が可愛い映画はだいたいいい映画だよ…(個人の感想です)。

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 「アバズレ版Re:ゼロ」!最初に目覚めるのが行きずりで寝ちゃった男子のベッドだったりするので超面白い。上手くいきそうなループだったけど友達を助けるためにあえて死んだりするあたりとか、めちゃくちゃRe:ゼロっぽいですよね~。「死に戻り」の能力に制限があるのもいいよね。「Re:ゼロ」の場合は「他人に事情を話せない」だったけど、こっちのは「死に戻る回数に制限がある(っぽい)」というもの。犯人を突き止めるために取った行動が、「生き返る度に容疑者を一人ずつ見張って候補を絞り込む」とかいうスーパー脳筋プレイですごく親近感がわきますね。等身大のアバズレ女子大生感というか。リアルロックマンよな。死んで覚える系のゲームっぽさが楽しい。

 こんな感じの脳筋プレイ女子が死に戻る(≒生き返る)たびに徐々に内面を変化させていくのも見どころの一つ。特に母の死以来疎遠になっていた父親との和解の場面は、コメディタッチの本作の中で思わず涙ぐんでしまう良い場面でした。犯人がわかったあとのループで、それまでガン無視していたキャンパスの人々にささやかな救いの手を差し伸べる場面の爽やかさも素晴らしい。でもtrueルートだとそのへんの改心した部分が全部なかったことになっちゃってるのも台無し感がすごくて良いよね。真犯人も意外だったなあ。まさかあそこでまたループしてしまうとは…。

 この話はこれで上手くまとまっていてきれいなんだけど、SF風味が加わったとの噂がある続編の「2U」は8月に観る予定。しかし、割と話題になってるのにTOHO1館ってのはなんとも寂しい。そのうち、新文芸坐あたりの名画座で2本立てやると思うけど。応援上映的なやつやったら盛り上がる気もする。

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