今月のベスト1冊

ディーリア・オーエンズ『ザリガニが鳴くところ』

この「2019年、アメリカで一番売れた本」という煽り文句が眩しい分厚い小説の作者は動物学者のディーリア・オーエンズ。これまでノンフィクションしか書いていない彼女の初小説となる。動物学者ならでは…というわけでもないのだろうけれど、本作の最大の特徴は、やはりその自然描写の豊かさだろう。プロローグからして「湿地は、沼地とは違う。湿地には光が溢れ、水が草を育み、水蒸気が空に立ち昇っていく。」なんていう素晴らしい書き出しから始まるのだ。穏やかな湿地の情景、水鳥を始めとする様々な動物たち、風のそよぎ、地面に息づく貝たち(カイアの商売の元でもある)、カイアとテイトが逢瀬を重ねる草原、そしてタイトルでもある「ザリガニの鳴くところ」はカイアの夢見るある種のユートピア的な湿地帯だ。湿地というある意味で彼岸に近いようなこの非日常世界を、オーエンズは植物、動物たち、そして主人公カイアの「生活の場」として鮮やかに描き出す。

カイアを中心とする人間たちに目を移すと、この小説の持つ二つの側面が見えてくる。すなわち、6歳で家族から捨てられて一人で生きてきたカイアのビルドゥングスロマンと1968年に起こった謎めいた不審死をめぐるミステリーだ。物語はカイアの孤独な生活と成長を追う過去のパートと、1968年現在の事件を追う人々のパートとが交互に描かれ、少しずつ全体像が見えてくるもどかしさとともに、500ページ超えのボリュームをあっという間に読み終えてしまう魅力的な構成となっている。本筋となるのは現代で描かれるミステリーの方で、クライマックスとして描かれる法廷劇の緊張感、そしてある意味でどんでん返しのような結末も実に見事なのだけど、個人的に惹かれたのはカイアの成長パートの方だったりする。特にその前半の、マジで6歳の子供が放り出されてどうやって生きていくんや…っていうサバイバルのほうがもう生々しくて凄まじい。村にとうもろこしの粉を買いに行って嫌な顔されたり、学校に連れて行こうとする補導員から逃れようとするという「地獄」とは言わないまでもかなり地獄に近いという状況。そんな彼女にも味方のような存在がいて、それが湿地のど真ん中で雑貨店を営む、黒人のおっさん・ジャンピン。このおじさんが本当にいい人でねえ…。1950年代から60年代の公民権運動の始まりから盛り上がりの時代という時代背景も相まって、村の中で阻害されている黒人と白人でありながら「湿地の少女」として蔑まれているカイアとの交流がとても印象に残るのです。

いやしかし、あの最後のページは椅子から転げ落ちたなあ。賛否を呼びそうなオチではあります。まあとにかく、全米500万部(って多いの?)のベストセラーは伊達じゃない!超オススメです。

おすすめの新刊

新刊の定義は過去3ヶ月以内くらいに発売された本でお願いします…

帯屋ミドリ『ぐるぐるてくてく』第3巻

女子高生散歩漫画3巻目。この漫画めっちゃ推してるので今年は友達の誕生日にAmazonの欲しい物リストの商品にプラスして送ったりしてるんですが、あまり流行ってない感じでちょっと寂しい。今巻は散歩部のメンバーが増えたり、ディズニーランド(の隣)まで行ったり、将来の夢という大きなテーマが出てきたりといった感じです。

季節感を感じさせるエピソードが多いのもリアル感があっていいんですが、今巻収録のあじさいの話は特に良かったですね。場所は北区の飛鳥山公園。雨の日って普通は散歩行かないもんだと思うんですが、あじさいが1300株植えられているという「飛鳥の小径」は自分も行ってみたくなりました。東京にもまだまだ知らないステキスポットがたくさんありますね。この話、めずらしく5人パーティーで散歩に行くんですが、そこでの会話のやり取りも楽しいのですね。

基本的に池袋近くがこの作品のリアルさだと思うんですが、23区から出る話も良かったですね。しかもわざわざ舞浜駅までいってネズミの国の反対側に降りるっていうのがいかにもこの作品らしい。なんもねーだろ、と思ってるとちゃんと何かがあるんですよね。散歩の醍醐味。旧江戸川河川敷の開放感、めっちゃ良さそう。まあ舞浜まで行くのもあれですが…。

例によって先輩が迷子になってしまったことで入ってしまった二人の間の些末な亀裂がどうやって埋められていくのか、次巻も楽しみです。って次で最終巻なの…。

近藤聡乃『A子さんの恋人』第6巻

いよいよクライマックスに近づいてきた「大人げない大人たち」のラブストーリー。アメリカにいるはずのA君が突如としてA子の元に現れるという往年のトレンディドラマみたいな展開。今までわりと停滞していた物語が大きく動き出す。

もう冒頭の風邪を引いたA子の場面から日常がどんどんズレていくのが良い。そうそう大人ってすごいよね、という妙な共感。本当に突然アポ無しでやってきてまたすぐ帰ってしまうA君もすごいよね。心をかき乱しに来ているよねこれは。業を煮やしている感。まあ彼自身も言ってるけど、けじめを付けるということなのだと思うけど。全体を通じてターニングポイントというか「いつまでもモラトリアムでいれると思うなよ」というメッセージが強く伝わってくるのだけど、友人たちと住む場所の変化も印象的。K子とU子がいなくなってしまうことでA子の生活はどう変わっていくのだろう。吉祥寺という「場」がこの作品にとっては大事だったのだなあ。「見覚えのある毎日を繰り返しているうちに 時間も人も流れて行ってしまうのだ。」なんて言葉は印象深く耳に痛い。

「伝えるための自分の言葉」を見つけるためにデビュー作を描き直すA子も象徴的で面白い。もちろん、A子の描く物語と彼女の人生はリニアに繋がっているわけではない。しかし、ここには彼女なりの「物語を信じる力」がたしかにある。少年と少女の物語を描くのは彼女自身なので、つまりこれは彼女が大人になるための通過儀礼であり、A太郎に思いを伝えるためのスターティングブロックみたいなものなのだなあ。いよいよ次巻で最終巻ということでどんな結末が待っているのか、楽しみです。

鈴木小波『東京黄昏買い食い部』

『ホクサイと飯さえあれば』の鈴木小波先生による一巻完結百合っぽさのある買い食いグルメ漫画。タイトルそのまんまなんだけど、放課後に買い食いするだけの部活「買い食い部」の女子高生・葵と巴の日常を描いた作品。ほんとに女子高生二人が買い食いするだけの漫画なんだけど、これが妙に面白い。

「買い食い部」の決まりは3つだけ。「一、ワンコイン、一、通学路内で、一、放課後4時から7時の3時間」。毎回テーマが設定されてて、例えば第一話のテーマは「ジャンボ」。で食べるものはジャンボメロンパンだったり、とまあそんな感じの漫画。東京東側が多めなのが荒川区民としては地味に嬉しい。まあ荒川区は出てきませんが…。原宿の「AND THE FRIET」のフライドポテトとか銀座の「CANADIAN」の卵サンドみたいなスイーツじゃないのもあるのが面白い。店の名前は明示されていないけど、まあわかるよね、という感じ。

面白いのは、女子高生篇の合間に大人になった二人による大人編が挟まっているところ。女子高生編の最後に置かれた、少し先に進もうとするエピソードのその後がわかって、これはこれで楽しい。大人なので500円という枠に縛られないのもいい。いわゆる百合ものというほどの関係性の深みはないのだけど、むしろこれくらいのゆるい友人関係を見ている方がハラハラしなくて個人的には好きだなあ。女子高生編では鶯谷のDENのパングラタン(でかい)に二人で挑むエピソード、大人編では新大久保でチートデイと称して食べまくりファミレスで原稿をやる地獄みたいな楽しそうエピソードが良かったですね。各話の終わりにツイッター風の後日談がちょこっと載っているのも好ましい。一巻で終わっちゃうのはもったいないなー、と思いつつ、これくらいがちょうどいいのかもと思ったりもします。地味ーにおすすめ。

小川一水『ツインスター・サイクロン・ランナウェイ』

舞台は遠未来の巨大ガス惑星。ガス惑星なので人々は軌道上に暮らしている。その数約30万人。主な産業はガス惑星内に生息する巨大な魚類(のような生き物)を獲って輸出すること。人々は16の氏族に分かれ、古臭い因習に囚われている。例えば漁をするためには男女ペアの夫婦でなければならないのだが、主人公のテラはその才能のために結婚できず、陸の生活に甘んじている。そんな中、パイロット志望の少女が押しかけてきて…。

感想を一言で言うなら、まあ「めちゃくちゃ面白い」としか言いようがない。どれくらい面白いかと言うと、ちょっと触りの部分だけ読もうかな、と思ったら一気に風呂の中で読み切ってしまったレベル。やっぱり面白い作品は一気に読めてしまうので最高!語り口はラノベ調で軽快だし、ベースとなる同名の短編を『アステリズムに花束を 百合SF短編集』で読んでいたこともあって、物語世界に入り込みやすかったということもある。

「百合SF」という側面ばかりが注目されているような気もするけど、さすがに『天冥の標』の作者だけ合って、さにあらず。バリバリのハードSFであり、また優れたジェンダーSFでもある。巨大ガス惑星の軌道上というシチュエーションもさることながら、渦巻くガスの中に巣食う謎の「魚」を捕らえて暮らすというハイテクなんだか原始的なんだかわからない生活が実に魅力的。他の星系から交易船も来るし、出ようと思えば出れるけど…。といういかにも日本の地方都市的な世界。

夫婦(もちろん「伝統的な」男女のペア!)でなければ漁に出れない世界で、女×女のペアで魚を捕るために因習的な世界に立ち向かっていく背の高いテラと家出少女のダイオードの掛け合いが魅力的なのはもちろんだが、さらにこの作品ではこれまで半ば黙認されていた男性たちの無自覚な性的視線にも言及している。パートナーの容姿に言及する氏族の長に激しく啖呵を切るダイオードやこれまで自分にかけられてきた褒め言葉にも取れるような発言に対して嫌悪感を抱いていたとテラが告白する場面は、この作品の立ち位置を示している。終盤のキスシーンや顕になる性欲のように、性的な事物が排除されているわけではなく、極めて慎重にコントロールされているように思える。単なる甘々の百合、というだけではなく、世界との関わりの中で描かれているという点が素晴らしい。物語の終わりには世界の広がりを示すような出来事もあり、続編が出るのを期待したい。