静かな、とても静かな終末。
『大きな鳥にさらわれないよう』は今から数千年~数万年後の超遠未来を描いた連作短編集だ。きっちりとしたSFである。過去の幾多のカタストロフの末に、人類は小さな集落に別れ、ひっそりと暮らしている。田中ロミオの『人類は衰退しました』シリーズや芦奈野ひとしの『ヨコハマ買い出し紀行』を思わせる静かな終末の様相が、人々の日々の暮らしを中心にして、川上弘美らしい叙情性豊かな筆致で紡がれる。
「新しい世界」は我々の生きる現代と同じようでいて、ちょっと違う。例えば、子どもを育てる「母たち」「大きな母」と呼ばれる存在がいる。読み進めていくうちに、それらが自分の知っているそれと異なることに気付く。町には「見守り」と呼ばれる人間がいて、「同じ人物と」定期的に入れ替わる。郊外にある「研究所」にはミュータントたちが集う。ごくありふれた単語が全く別の意味を成すというあたりは、椎名誠の一連のSF作品1を髣髴とさせる。
物語は、おそらく数千年という長いスパンを通して語られる。明確な場所や時代の記述は無いのものの、「かつて日本と呼ばれていた」「数千年前は」といった言及が、我々の知る世界とのゆるやかなつながりを示唆している。各話は独立しているものの、相互に繋がっていて、ある話で語られた人物や物事が別の話で登場したりといった形で、なんとなく時系列が分かるようになっている。「見守り」の一生を描く「水仙」。衰退の初期、少女が母になるひと時を描く「緑の庭」。均一化された「見守り」から逸脱した一人の子どもと「大きな母」をめぐる「踊る子供」。衰退後の世界のシステムを作った二人の「見守り」と変容しつつある人類を描いた表題作「大きな鳥にさらわれないよう」、「Remember」。進化/変異の途上をたどる人類を活写した「みずうみ」、「漂泊」、「Interview」。衰退後に起こった人類の最後の火花、都市と経済と宗教の再発生が描かれる「奇跡」。「研究所」で出会ったミュータントの少年・少女の交流を互いの目線で写した「愛」、「変化」。異形の存在「母たち」、「大きな母」の起源が語られる「運命」。そして、人類最後の二人の少女が新たな世界を創造する「なぜなの、あたしのかみさま」は、冒頭の「形見」へと続いている。初見の際の違和感/疑問がここで解消される、円環のような美しい構成だ。
それにしても、川上弘美の描き出す人類の最後は、なんと淡々として、そして残酷なことだろう。真っ先に連想したのは、原作版の『風の谷のナウシカ』で、ナウシカが語ったセリフだ。ナウシカは「清浄と汚濁」を選択したが、最後の人類は…。「形見」で、神話と川一つ隔てたところに住む町の人々。最後に残った穏やかな彼らは、果たして人間だったのだろうか。
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