[cf_cinema format=1 text=” 東京国際映画祭で観逃してた作品。選考委員解説でも触れられてたたけど、確かに動かない!笑 ほんとに中割ないようなカットもあるし。振りかぶったと思ったら次の瞬間に振り下ろしてるような。個人的に気になったのは車が走ってるカットで、多分横向きのデータしか作ってないのかなー、動きも直線的に走ってるだけだし、それなりに違和感を感じました。ただ、そういった点はおそらく技術というよりは予算の都合なのではないか、という感じも受けました。動きの乏しさを補うために、音で動きを表現したり、暗転させたりといった工夫がそこかしこに散りばめられているのは好印象。車は気になったけど…。あと何よりキャラクターデザインと美術、レイアウトがとても良い。解説で藤津先生も仰られてましたけど、キャラクターがいわゆるアニメキャラではなくて普通の人なんですよね。主人公からして、主人公らしからぬ冴えない感じが板についているんですよ。他の人も腹の出たおじさんとか普通のおばさんとかそんなん。キャラが立ってて日本のアニメに出てきても違和感ないのってマフィアのボスとその部下のアダーさん(スキンヘッド)くらいじゃない??個人的な推しは定食屋にいた発明家のおっさんです。そんなどこにでもいる市井の人々が大金を巡って右往左往する群像劇がまた楽しい。予想もつかないところで線が交差していく。わりと狭い範囲で物語が展開するんですけど、このシチュエーションも見どころの一つですね。ザ・中国の寂れた地方都市という雰囲気がバリバリ出てて、レイアウトも凝ってる。動きよりも絵を見せていくタイプの作品。そして、様々なキャラクターの思惑を力技で無理やり一箇所に押し込めたかのような大団円(?)のラストが圧巻!でも無理やりっていうかんじでもない。アイツラだったらやりかねない、という謎の説得力がある。ぬっくん(温水洋一)みたいな風貌の殺し屋(こいつがまた帽子かぶってると普通にかっこいいんだ)が車で突っ込んでくるシーン、思わず劇場で声を上げてしまいました笑 あんなん笑うやろ!ずるいわ。”]

選考委員解説(津堅信之さん、藤津亮太さん、叶精二さん(モデレーター))


!notice!

トークの内容につきましては、その場で速記してまとめています。事実誤認、不適当な記述などございましたらご連絡ください。対応させていただきます。

動かないけど面白い!

叶 長編のコンペティションプログラム、最初の上映となりました、『ハブ・ア・ナイス・デイ』。とても特徴的な素晴らしい作品だと思います。一次選考でこの作品をお選び頂いた審査員の方に作品の解説等お聞きしたいと思います。藤津亮太さん、津堅信之さん、よろしくお願いいたします。

津 みなさん、こんばんわ。津堅と申します。アニメーションの歴史を研究しています。今回は長編コンペの一次選考委員として参加させていただきました。よろしくお願いします。

藤 藤津亮太です。私も一次選考委員の一人として選考に参加させていただきました。普段はいわゆる商業アニメに関する原稿を書いています。よろしくお願いします。

叶 早速ですけれども、この長編のコンペティションの選考というのはかなりたくさんの作品の中から選んだんですか?

津 19本ありました。それを、選考委員が4人いるんですが、一つの作品について必ず二人以上観るような形で、チームを組んで観て、最終的に4人がディスカッションして4作品を選ぶという形でした。

藤 最終的にディスカッションして、それぞれが推薦作を持った段階で集まって、自分が推すものをプレゼンしたりしながら、あるいは質問を受けたりしながら決めていきました。

叶 けっこう熾烈な議論が交わされたわけですね(笑) この作品はどういう経緯でノミネートされたんでしょうか。

藤 僕は観てくださいという数本の中に入っていて、観た中ではこれともう一つは面白いな、と思って決めていたので、本番の選考会議のときにも推したという感じでした。津堅さんはどうでした?

津 実は、この映画祭の選考審査の中では、『ハブ・ア・ナイス・デイ』は僕の当番の中に入っていなかった作品なんですが、別の映画祭1ですでに観ていまして、皆さんと議論する中で、出品作の中にこれが入っているのを知って、僕自身が考えたこと、逆に僕が当番で観たものの中で良かったもの、それを比較しながら議論に進んでいくという形でした。

叶 この作品がノミネートに入るかどうかということで議論になったというようなお話を伺ったんですが…。

藤 一番の議論になったポイントでしたね。4人の内、僕と津堅さんは入れたい。あとのお二人が「そうでもないんじゃない」というような感じでした。意見が別れて、色々話をしたり、全体のバランスを考えたりしながら…。

津 全体のバランスって選考の場では意識せざるを得ないんですね。選んだ枠、例えば今回なら長編4作品なら4作品で、ある種のカラーを出したいんです。(観客に)皆さん、昨日今日とプログラムを消化してらっしゃるからこれで4本観ている方もいると思うんですけど、全然違うタイプの4本が集まったと思うんですよね。そういうことも含めてカラーを出したいというのが一つと、それからもう一つは、映画祭そのもののカラーなんですよね。それぞれの映画祭で方向性とかある種のポリシーのようなものがあって、それをどういった形で審査の中に取り込んでいくのかということは意識する必要はあるかな、と思っています。

藤 僕は津堅さんほど大きいことを考えていたわけではないんですけど、十数本の候補作の中でこれだけ一際異色なんですよね。ブラックユーモアというか皮肉が効いてるし、それが一方である種の優しさ、一回転した優しさみたいなものがあって、それが面白いなあと思っていて、そういう情感を与えてくれる作品は他になかったんです。候補の中に入れることで、4本のカラーの幅が絶対広がると思ったんですね。議論の対象となるレンジの幅が広くなる気がして。

叶 確かにこれまでの作品と比べて観ても異色な感じがしますよね(笑)この映画祭の底の深さみたいなものが垣間見えるようなそういう役割を果たしている作品だと思います。特にここがいい!という風な推され方をしたのはどういった点ですか?

藤 最初は字幕が無い状態で観るので、ストーリーを完全に把握するのは難しいんですよね。とりあえず画面の色がいいなと思ったんです。グレーのところに黄色の文字とか、そういうトータルで色彩設計をしていて、いい画面を作ろうという意志がありました。一方で議論にもなったんですけど、あまり動いてないという問題が裏腹にあるんですけど(笑)動いてもあんまり動きが良くない。そういう欠点はあったんですが、トータルとしてこういう画を見せたいんだという主張はすごくあったんで、僕はまずそこがいいと思いました。

叶 動いてるか動いてないかという点で言うと、確かに微妙なものがありますね…。止まってるなあって思うシーンもあるし、6コマか7コマかみたいなとこもあるし…。驚いたのは線路の上を黄緑色のコモドドラゴンみたいなやつが渡っていくところで、線路の凹凸に身体が全く対応していない(笑)氷の上をつるーんって滑っていくみたいに歩いてしまって(笑)

藤 道路が凹んでるところをバイクが走っていくところもあんまり上手い感じにはなってない。そこが議論のポイントになりましたね。いわゆる技術点的なもの、表現したいものと技術の間にギャップがあるんじゃないかという話は出ました。

叶 絵はとても上手ですけど、動きがほぼ中抜き、みたいな感じですよね。カクっと動いてる、でもすぐパーンと変わってしまう。逆に言うとテンポがいい。最初はすごく違和感があるんですけど。

津 アニメーションを評価する時のポイントって一言で言うのが難しいとは思うんですけど、あるにはあると思うんです。ただ、審査という場で、僕が重視しているのは、一つの世界をどう描ききっているかということなんですね。今、絵の動きっていう話がありましたけど、特に日本のアニメシーンを見ていますと、テクニックの部分っていうのはどうしても重視してしまうんですが、結局、これだけの長編になると、ある一つの世界をどういう風に描いたのかがウェイトとしては大きいように思うんです。そのために、手段としてテクニックをどう使うかという順序だと考えた時に、この作品はやはり中国のある種の芸術というものを作り出していると思います。当然、登場人物は架空でしょうし、その登場人物もかなり多いので、一回観ただけでは理解できない部分があるかと思うんですが、これはおそらくシナリオの段階で意図的に作ってると思うんです。ある種の混沌であるとかカオスであるとか、そのような形で、中国の何処かのコミュニティ、広いようでいてとても小さなコミュニティの中で、全く関係ない人たちが、お金というツールを使って繋がったり、繋がってなかったりする。それぞれの人がどういう素性の人なのかちっともわからない。かろじてネットとか携帯とかで繋がっている。こういう世界を1時間半近くかけて描ききったというところが大変面白いと思います。いわゆる子供向けとかファンタジーではない、長編アニメーションのステージを広げてくれたという感想を持ちました。

藤 お話はフィクションだし、どっちかというとタランティーノの犯罪映画に近いテイストなんですけど、でもキャラクターデザインがすごく庶民的というか、普通の人の顔を描いていて、こういうのは日本のアニメーションは決して得意ではないわけですよね。それで、こういう話が、普通の人の顔が出てきて、おそらく中国の普通の人たちが見ている風景の中で展開するというだけで、世界観が現実とフィクションの間を行ったり来たりする感じで描かれてて、そこがすごく刺さる要素になっている。再見して思ったんですけど、それが結果的に運命というものから人間は乗り換えられるかどうかというテーマにつながってて、そのテーマが観客と等身大のリアルな絵で描かれてて、誰もが知ってる風景の中で起きてるというのが、この作品の面白さなんだろうと思います。

津 非常にわかりやすいですね。私も同じようなことを考えていて、この作品は作者として描きたいテーマがあるとかとかではなくて、一つの世界を描いていて、それを観客が観た時に、観客自身がテーマを感じる、そのように感じました。

叶 そういう意味では、タイトルも非常に面白いですよね(笑)

藤 こんなひどい目に会ってるのに『ハブ・ア・ナイス・デイ』っていう(笑)字幕無しで観てても、(最初のシーン)画家をリンチしてる親分たちがその後車で移動してて、どこからかドンドンっていう音がする。観てる人はなんだろうと思うと、さっきリンチしてた画家が後ろのトランクに入ってる(笑)少し北野武映画っぽいブラックユーモアがあって、僕こういうセンスはすごくいいなあと思ってて、初見の時もあのシーンは印象的でした。台詞が付くと他のところも皮肉っぽいところがいっぱいあって、ああやっぱりそういう方向で統一してるんだな、と。

叶 ネットで見たインタビューによると、コーエン兄弟2だったりとかタランティーノの『レザボア・ドッグス』3とか(北野)武さんの映画だとか、あと押井守さんだとかにコンスタントに影響を受けたと語っているわけなんですけど、面白いなと思うのは、お二方とも仰ってたようにシナリオがとにかく素晴らしい。たとえ動かなくても、それが絵で長持ちできる形で作ってあって、北野武さんの映画とかコーエン兄弟の映画とかに共通するところがあると思うんです。アニメーションであることによって、全然違う映画に見える。実写の延長であるとか、その真似事ではなくて、アニメーション独自の面白さがありますね。配色とかちょっとくすんだ感じのトーンとか夜空のブルーグレイの感じとか。この作品は劇場で観たほうがいいですね、モニターで観たときと全然印象違いました。真正面と真横のレイアウトをパンパンと切り替えていく。だからあんまり動かなくても、見れる画作りというのを、たぶん低予算もあって、監督本人も意識してやっている。ちょっと自主映画っぽいような、お金が足りなかった時のジム・ジャームッシュ4みたいな、ブラックアウトで繋ぐことでも映画はちゃんと成立するということを挑発的にやってる感じもしますね。

藤 思いつきでやったというよりは、ちゃんとした信念と、こうなったらまとまるという見通しを持って作っている感じがしますよね。

叶 あと面白かったのが背景美術ですね。全部フレームでくくってセルルックにしてしまうというのが。日本でいうと永井博5であるとか鈴木英人6であるとか、あの辺りの80sですよね。80年台の絵柄で、大竹英二とか山下達郎のジャケットでやっていたような描き方を、あんなに暗い、明度・彩度を落とした絵でやるとこんな風に見えるんだっていう面白さがありますね。ああいう描き方って、セルが大好きな日本でもあっていいはずなのに、たむらしげるさん7とかやってらっしゃいましたけど、あまり流行らない描き方ですよね。

藤 だから日本のアニメってのは煎じ詰めて言うと決まった定番というかお約束の世界だと思うんです。そうなると、今、叶さんが仰ったいわゆるバックグラウンドの描き方一つとっても、『ハブ・ア・ナイス・デイ』のような観せられ方をするとそれが一つの驚きになるわけですよね。

叶 ほんとそうですよね。あ、こういうことができるんだ、と。

津 しかも長編で(笑)

藤 だからこの作品の世界、描かれていたことを考えると、リウ・ジエン監督が影響を受けた人物として何人か実写の監督とかそれからアニメ監督が挙がってましたが、実写で生の役者を使って撮るというのも十分ありうる題材だと思います。そこを長編アニメで表現したことに、観る側は何かを感じ取りたいという部分があるわけです。画作りとか絵の動きであるとか、そういうものがアニメーションにした時に、一体何が伝わるか。また、表現として省略されているけれども、その省略されたことが逆に我々の想像力をかきたてる、そういったものがたくさん詰まっている作品ですね。

叶 すごく勉強になりますよね。作り方も含めて。

藤 どうやって作っているかはすごく疑問というか不思議に思っていて、選考委員からは、まず写真を使って撮影をしてるんじゃないかという話は出ました。そこでレイアウトを決めてるんじゃないか、という話はあったんですけど、じゃあ役者さんはほんとにあの顔のままなのか、ああいう人がいるのか、とかですね、そうやって考えていくと、どこで絵に切り替えているのかというのが一つポイントになる作品でもあるなあ、と。

津 デジタル時代になって写真を参考にする作り方って日本でも国内外でも増えてきていて、人工的に撮ったものをアニメにするときに消さなきゃならないものがある。情報が多すぎますからね。カメラで撮ったものを消す必要があるんです。人物なんかもモデルがあるとか、ライブアクションなんかも使っているとしたら、やっぱりそれも消していかなきゃならない。

叶 鬱陶しくなっちゃいますからね。

津 これが、実写的な素材であってもアニメーションで作るある種の意味合いであって、作家性が表れる部分であると感じました。

藤 だから全体をイラスト的に表現し直すんだという、逆にレイアウトもかっちり決まってしまっていて、動くとレイアウトが崩れる、みたいな感じの決め方をするというところが、アニメーションにする時の狙い所だったんだろうなあ、と思うんです。

叶 アクションはほんとにほとんど省略ですからね。ぱっと一瞬で消える。

藤 最後、車から出るところとかもドア開いて身体出す動作が全くないですからね。

叶 音だけでね。

藤 そう音だけで。

叶 音で表現してるんですね。そう考えると面白いですよね。切り替えを大胆にやってしまうという。

ドキュメンタリー・アニメーションとしての『ハブ・ア・ナイス・デイ』

津 今日、流れがあまり変にならなければ出そうと思ってたものが一つありまして、今、渋谷のシアターイメージフォーラムで『苦い銭』8という中国の長編映画をやってるんです。アニメーションじゃなくて記録映画なんですけど。ワン・ビン9という、もう何本も作品を撮ってる記録映画の監督なんですが、本人は「中国人の自分が撮ったものは中国の映画ではない」という風に表現していて、それは中国で公開されたものが一本もないんですね。『苦い銭』という作品も含めて。それはつまり、中国の国内では公開できないような内容を描いていて、だから資金も全部国外で彼自身がプロデュースして集めているんです。それで、『ハブ・ア・ナイス・デイ』でも、お金というものに執着する人たちというのが違う形で色々出てくるじゃないですか。昨年来この『ハブ・ア・ナイス・デイ』を観てずっと気になっていた中で、その中国の『苦い銭』という記録映画も気になって観に行ったんです。どういうものかというと、中国の浙江省のある町で、その町は人口の8割が地方から来た出稼ぎの人なんです。農村部から出稼ぎに来た人たちがその町の人口の8割を占めるという状況の中で、様々な事情で最低限の賃金と条件で働いている何人かの人たちにずっとカメラを当て続けてるんです。覗き見をするような独特の撮り方をしていて、それで2時間半くらいあるんですけど、非常に不思議なのは、「カメラで撮ってる映像」という感覚が途中から無くなってくるんですね。自分が覗き見ている映像があたかもスクリーンに映し出されているかのような。なんらかの実写的な素材というようなものを使う中で、その存在をどうやって消していくかというのがアニメーションを作る時の一つのポイントになるというのがさきほどの話の中で出てきたと思うんですけど、この『苦い銭』という記録映画もそういう意味ではすごく記録映画なんですけど、作り込んでいる。その監督でなければ作れない世界に感銘を受けたんです。逆に『ハブ・ア・ナイス・デイ』も、これは中国で公開されているはずですが、どうやって受け入れられているかが気になりますよね。

叶 ドキュメンタリーで扱うような、最下層の人たちであるとか、労働の問題であるとか、差別の問題とか色々あるんですけど、そういうものをアニメーションで表現して、長編で、しかもリアルにそれを取り上げて、さらにそれをある種のエンターテイメントにまでしようというのは実写では結構ありますよね。それこそイメージフォーラムでやってるような作品とか。でもなかなか長編のアニメーションでは企画は通りづらいですよね。どうしてこれが中国で作れるんだろうと思いますよね。そんなに簡単には作れなかったはずだと思うんですけど…。

津 でも日本でもドキュメンタリーのアニメって何本かあるじゃないですか。「決断」10とか。観客の側からドキュメンタリー・アニメーションに対する期待みたいなものというのは、藤津さん、普段のお仕事の中で感じることってありますか?

藤 観客の側からの期待ですか…。それはそれほどでもないと思うんですけど、映画祭のようなところで観たいものとしてはあると思うんですよね。興行ということとはまた違う状況だと思うんですけど、ただそれが普通の流通経路にどれくらい乗るかというのは…。ただ、『この世界の片隅に』11なんかは劇映画を成立させるために調べていったらある種のドキュメンタリー映画になっていたという、そういうことは起きているので、起きなくはないと思うんですよね。「ドキュメンタリー」の目的でなくても、日本のアニメーションはそういうクオリティを厚くしていくことでリアリティを獲得していこう。それによって、その世界を実際のものに感じてもらおうという風に進歩してきたので、そのあたりは裏表みたいな感じで存在はしていると思うんです。

津 ここ数年、世界的な商業アニメーションの潮流の中で、ドキュメンタリー・アニメーションというものが出てきていて、これ意味合いが二つあるんですが、普通の理解としては史実、現実に起きた事件であるとか、人物史というものをアニメーションで描いたものという理解でいいと思います。例えば昨日上映された「ソマリア94」12なんかはドキュメンタリー・アニメーションだと思うんですね。

藤 あれこそテレビのドキュメンタリーとか再現ドラマで作れそうなものにアプローチしている感じですよね。

津 そういう流れの中でこの『ハブ・ア・ナイス・デイ』という作品を観た時に、登場人物とか起きた出来事とかは架空のものだとは思うんですけど、ドキュメンタリー性が強い作品だと思います。

叶 生の現実を映した感じですよね。

藤 あれぐらいお金があったらとか、そういう気持ちみたいなものは、今『苦い銭』の話がありましたけど、今の中国の人の気分であるとか、あるいは監督が感じている今の中国の世相みたいなものが入っているんじゃないかな、と思うんです。そういう意味で、ドキュメンタリーとは言えないとは思うんですけど、ドキュメント性を強く帯びている感じがするんです。工事中で街の風景がどんどん変わりつつあるというのもその要素だと思うんですけども。

叶 面白いなあと思うのが、ヨン・サンホ監督13なんかもそうだと思うんですけど、こういう題材でキャラクターを作ろうという時に、日本で黄瀬さん14とか沖浦さん15たちが作ってきたような傾向の線の整理の延長のようなものでキャラクターをお作りになっていて、実際に沖浦監督も感じると仰っていましたけど、一方で「人狼」16が実写の映画になる17という逆の現象まで起きているわけですが、それが日本ではなくて、韓国や中国で起きていて、沖浦監督のやってきたことを継承しようと、あるいは噛み砕いて自分たちの作品を作っていこうという人たちがいるというのが非常に面白いです。日本でももっと出てきて欲しいですね。

津 中国のアニメーションって、僕のイメージからすると、上海の国営スタジオの水墨画アニメなんですけど、いわゆる改革開放以後は商業的なアニメーションも非常にたくさん作られていて、去年の『西遊記 ヒーロー・イズ・バック』18のようなバリバリのハリウッド型の作品もあって、「西遊記」なんかはここ数年の中国の動きを見ていると非常にわかりやすい作品だったんです。『ハブ・ア・ナイス・デイ』は、確か中国のインデペンデント映画協会かな、そういうところを目指して作られてきた映画で、日本的な感覚から考えると、やっぱり日本でインデペンデントで長編を作るというのは難しいのかな、という気はしますね。

藤 これは根拠とかなくて、直感的に思ってることなんですけど、いわゆるアニメーションというものを作りたい人と、映画を作りたいという時に手近なツールとして絵があるというタイプの人が2種類いて、世界に少しずつそういう人がいるんじゃないか。だからデジタルの発展とかCGとか、要はそれまでアニメーションだとできなかった領域を補完してくれる技術ができたおかげで、本当は実写でカメラを回さないとできなかったようなことが、デスクトップの中で完結して映画が作れると思ってる人が一定数いて、そういうことがこういう作品を生んでいるのかな、という気はするんですね。

津 僕もそれは非常に感覚的に正しいというか、ここ数年のトレンドのようなものだと思っています。それは作り手にとってはアニメーションを作るということが目的ではなく手段になっているんですね。手段としてアニメーションが使われるようになった。だから自分の到達したいもののためにアニメーションが使われるようになった、とそういう流れですね。

叶 ウェス・アンダーソンのストップモーションなんかもそうですね。ほとんど現場に来ないっていう話も聞きますけど。そういうこともできるわけですよね。

津 だから日本でも…日本の場合はアニメーションが目的になってるのかな。

藤 日本はキャラクターが好きなんですよね。日本の商業アニメのビジネス的な根幹はキャラクタービジネスなので、キャラクターを作るということが第一義的に発達してきたということが日本のアニメーションを特徴づけている。

叶 『ハブ・ア・ナイス・デイ』だとキャラクタービジネス厳しいですよね(笑)

藤 タイトルロゴとかだったらかっこよくていいんですけど、キャラクターグッズはむずかしい…。日本のアニメはそっちのほうに軸足がある形で発達してきたんですけど、日本でもオルタナティブがもうちょっと出てきてもいいのにね、という話でもあるんですよね。

津 そういう商業アニメーションの幅を広げてくれたのがこの作品だと思うし、そういう可能性がまだ残されているんだとしたら、世界に冠たる長編アニメーション大国である日本でもまだまだできることはあるし、やれる人もいるんじゃないかな。

藤 今、既存のスタジオでこういうスタイルで作りたいって言ってもなかなか難しい話だと思うんですけど、才気走った学生さんだったら、「俺の方が上手くできる!」っていう人がいてもおかしくないと思うんですよ。実際にやってみたら、ここまできっちり作り込めるか、というのはまた難しい問題になってくるのかもしれないですけど、俺ならもうちょっとと思える、希望というかとっかかりみたいなものはあると思うんです。

津 そういう意味では非常に刺激になった作品でしたね。

叶 そうですね。この作品が日本の、あるいはこのフェステイバル全体、それから観客の皆さんにもカンフル剤のように機能してくれるといいなあ、と思います。じわじわ効いてきそうな作品ですので(笑)

NOTES

  1. 『ハブ・ア・ナイス・デイ』は2017年10月-11月に開催された第30回東京国際映画祭で上映。
  2. ジョエル・コーエン(1954年11月29日-)とイーサン・コーエン(1957年9月21日-)。『オー・ブラザー!』(2000年)とか『ノーカントリー』(2007年)とか。確かに雰囲気似てるかも
  3. (1992年)クエンティン・タランティーノ監督。強盗映画。
  4. (1953年1月22日-)。最近だとアダム・ドライバー主演の『パターソン』とかすごく良かったですね。ブラックアウトはヴィム・ベンダースに余ったフィルムをもらって作ったという『ストレンジャー・ザン・パラダイス』あたりがわかりやすい。
  5. (1947年12月22日-)イラストレーター、グラフィックデザイナー。トロピカルで空が青すぎる絵柄。
  6. (1948年7月6日-)この人もトロピカルな絵柄ですよね。はっきりした描線が特徴的。カーキチ。
  7. (1949年11月26日-)あの独特の絵、好きですねー。アニメ『クジラの跳躍』の原作・監督と言えばイメージしやすいかも。
  8. (2016年)ワン・ビン監督。浙江省の裁縫工場で働く女子工員を記録したドキュメンタリー。日本では2018年2月にシアター・イメージフォーラムにて上映。
  9. (1967年11月17日-)コンスタンスに中国の下層階級を記録している監督ですね。去年あたりも『収容病棟』が上映されてました。
  10. 『アニメンタリー 決断』(1971年)。九里一平監督、タツノコプロ制作。第二次世界大戦をノンフィクションで描いた作品。これテレビで2クールやってたのすごいな。
  11. (2016年)。片渕須直監督。監督が偏執狂的に調査をしていたことで知られる。終わったあとも調べてた。
  12. 『ソマリア94-イラリア アルピの出来事』(2017年)。マルコ・ジョーロ監督。
  13. (1978年-)。韓国のアニメーション監督。『豚の王』、『我は神なり』など。基本暗い。
  14. 黄瀬和哉(1965年3月6日-)。IGのスーパーアニメーター。いろいろやってるけど最近だと『攻殻機動隊ARISE』とかですかねえ。
  15. 沖浦啓之(1966年10月13日-)。IGの人ってイメージだったけど今はカラーにいらっしゃるんですね。『人狼』『ももへの手紙』『旅のロボから』など。
  16. 『人狼 JIN-ROH』(2000年)沖浦啓之監督。ケルベロス・サーガの記念すべき第一作にして沖浦監督の代表作。押井監督の圧が強い。
  17. キム・ジウン監督によって実写化進行中。
  18. (2015年)ティエン・シャオポン監督。TAAF2016の長編コンペティション部門に出品。