今月のおすすめ
はちどり
[cf_cinema format=3 no=1 post_id=10646 text=”いやあ、またまたすごい監督が韓国映画会から出てきたなあ。思春期の少女の視線への寄り添う方、世界の切り取り方の鮮烈さ、淡々とした日常の積み上げと強烈な転調、そして社会との接続。どれをとっても衝撃的。
舞台は1990年代のソウル。主人公の14歳、ウニ(パク・ジフ)は少し問題を抱える家族と共に団地で暮らしている。学校にもあまり馴染めない彼女は親友と万引をして捕まったり男友達や女友達と些細な恋愛ごっこに興じたりして日々を過ごしている。ある日、ウニの通う漢文塾にヨンジ先生(キム・セビョク)という謎めいた女教師がやってくる。
素晴らしい点はいくつもあるのだけれど、やはり一番に挙げなくてはいけないのは、ウニの生活に寄り添った視点と日常で起こるちょっとした事件を描く鮮烈な印象だろう。例えばそれは万引をして捕まったウニが親友と父親に裏切られる場面のカットであったり、ウニの必死の呼びかけに全く答えない母親を描いたある種白昼夢のようなカットであったりする。冒頭からして、団地の廊下を歩くウニの視点と開かないドアが強烈な印象を残す。この場面で象徴されるように、この映画は「扉」についての映画でもある。開かない/閉じていくウニの団地のドアは彼女の世界の閉塞感と繋がっているが、それはまたウニの耳の下に出来たしこりや、通学途中にある立ち退き拒否の横断幕へと繋がっていく。終盤に起こる90年代前半のソウルにおける、ある大事件からもわかるように、ここには当時の韓国社会が抱えていたある種の停滞感のようなものが漂っている。思春期の少女の内面を、そうした社会全体へとスムースに接続していくのもこの映画の素晴らしさだ。
そんなテンプレ気味の思春期少女ウニの生活に突如として登場するヨンジ先生。初登場からしてタバコをスパスパふかしていてインパクトがあるのだけど、周囲の大人たちと全く違うヨンジ先生の存在はウニの世界に大きな光を投げかけていく。この女教師はウニだけでなく観客にとっても底しれぬ謎を抱えた人物なのだが、あたかも幽霊のような非実在的な雰囲気を纏った彼女は、終盤に起こるある事件の中で現実世界に繋ぎ止められる。実在の事件を織り込むことでフィクションと現実社会とを結びつけ、少女のミクロな世界とその外側の大きな世界とを描き出すことでキム・ボラ監督は恐ろしく奥行きのある「世界」を現出せしめた。文句なしに今年ベスト10に入る傑作だ。
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観た映画一覧(時系列順)
蜘蛛女のキス
[cf_cinema format=3 no=2 post_id=10649 text=”長い長い2ヶ月ものコロナ自粛という名の経済統制が終わり、映画館再開一本目。もちろん、一番お世話になっている新文芸坐さん。密を避けるためにあえて平日に行ったのだけど、再開を待ち望んでいる人々がいたためか、平日にも関わらずそこそこの入り。しかし一席空けて座っている場内の様子はまだどこか違和感がある。これもまた新常態になっていくのだろうか…(潰れてしまう…)。
さて、ヘクトール・バベンコ監督『蜘蛛女のキス』。初見。全く予備知識無しで観たので、当然のように「蜘蛛女」なる女性が出てくるものだと思って観たわけなのだけど、なるほど、画面には狭い獄房と二人の男しか出てこない。しかし、このルイスとヴァレンティンを演じた二人の俳優、ウィリアム・ハートとラウル・ジュリアがとてつもなく素晴らしい。冒頭、映画のあらすじを情感たっぷりに語りだすトランスジェンダー・ルイス役のウィリアム・ハートの色気はもちろん、彼に次第に惹かれていく革命組織のインテリ・ヴァレンティン役のラウル・ジュリアもめちゃくちゃいい。というか個人的にはラウルの方が好きかな。ヒゲだし。実は所長のスパイでもあり終始のんびりとした言動のルイスと、いらだちを募らせ怒りを顕にしつつも論理的思考で世界を見ようするラウルというある意味で対照的なキャラクターが一つの房で交流を深めていく過程の丁寧さが見事だ。
「物語」が作品のキーになっているのも特徴的で、冒頭から始まるルイスの語るナチ占領軍の高官とフランス女の恋物語を描いた映画、そしてヴァレンティンがかつて恋した反政府組織の女にまつわる回想場面は映画の中で大きな割合を占めている。二人の会話の中で言葉によって語られる映画と記憶は彼らの中だけで消費される。ルイスはついに聞き出したヴァレンティンの秘密を所長に語ることはない。映画も記憶も獄房の中であたかも夢のように儚いものとして消えていく。物語の最後、激しい拷問の果に、過去の中に「解放」されていくヴァレンティンの姿はあたかも白昼夢のように美しく、印象的だ。
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タッカー
[cf_cinema format=3 no=3 post_id=10656 text=”プレストン・タッカーの伝記映画である。いや、誰よそれという感じなのだが、なんでも20世紀中盤に活躍した発明家らしく。で、この映画は彼の開発した夢の車「タッカー車」の開発秘話、みたいな話。
とにかくまあこの主人公たるタッカーさん(ジェフ・ブリッジス)のクソハイテンションな性格がいい。冒頭からして、何の前触れもなく大量の犬を連れて帰ってきたりするし、軍に不採用になった高速戦闘装甲車に乗って家族みんなでアイスクリームを食べに行ったりする。とにかくまあ、前向きで行動力の塊!みたいな人物で、観ているこっちが気持ちよくなってしまう。そんな彼が作り出そうとした「タッカー車」、1940年代とは思えないようなめっちゃ未来っぽいデザインで「あ!これFalloutでみたやつだ!」みたいな感覚になる。まああそこまで流線型ではないけども。デザインだけでなく、当時は付いてなかったシートベルトなんかも付いていて(ていうか無かったんかい!)、極めて先進的な車だったらしい。
で、このスーパー未来カーを大量生産するためにまずはモデルカーを作成しなければならない、ということで株式会社を設立。株式売出しの宣伝等として、いわゆるビッグスリー出身のおっさんに重役を任せたのだけど、これが裏目に出てタッカーはビッグスリーから徹底的な嫌がらせを受けることとなる…。トラブルの続出するモデルカー製作の中で、物語序盤ではあんなに溌剌としていたタッカーが次第にパワハラおじさんになっていくのを見るのが辛かった…。さらには架空の販売権によって資金を騙し取ったとして訴えられてしまうタッカー。最後半はほとんど法廷劇なのだけど、そこでタッカーが陪審員たちに訴えかける言葉が心に残る。
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デッド・ドント・ダイ
[cf_cinema format=3 no=4 post_id=10661 text=”アメリカの片田舎の町・センターヴィル。ほぼ派出所みたいな規模のセンターヴィル警察署に勤務するロバートソン署長(ビル・マーレイ)、ピーターソン巡査(アダム・ドライバー)、モリソン巡査(クロエ・セヴィニー) は若干面倒な住人たちのトラブルを解決する日々。そんな折、突如として町にゾンビが出現。3人は、葬儀場の謎のスウェーデン人(日本刀装備)ゼルダ(ティルダ・スウィントン)とともにゾンビの大群に立ち向かうが…。
…まあなんというか、言っちゃ悪いけど「普通のゾンビ映画」って感じでしたね…。もちろん、後半の未確認飛行物体とか「台本」とかそれなりに変わったところはあるんだけど、オチもよくある「俺たたエンド」だし、かといってゾンビコメディの名作である『ショーン・オブ・ザ・デッド』とか『ゾンビランド』みたいなノリでもないんだよなあ…。テンション基本低め。ティルダ・スウィントン演ずる日本かぶれの謎のスウェーデン人の出オチ感とかは面白いんだけど…。彼女の施す死化粧のケバケバしさとかゾンビがぱっちり目を覚ますシーンなんかは劇場で爆笑してしまったのは確か。
むしろジム・ジャームッシュらしさは場面場面の妙な静けさであるとか、間のとり方にあるような気がする。この映画、肝心のゾンビが出てくるまでが割と長いのだけど、村の中をパトロールするビル・マーレイとアダム・ドライバーの車中を延々と映すカットであったり、あるいは最初の犠牲者であるダイナーのグログロ死体を順番に現場に到着するビル・マーレイ→アダム・ドライバー→クロエ・セヴィニーの3人が律儀に一人ずつ確認していく繰り返しのカットなんかがとても印象に残っている。『パターソン』でも感じたことだけど、やはりジム・ジャームッシュはそういう間のとり方が絶妙に上手い。そういえば、アダム・ドライバーは『パターソン』から続投だけど、彼もまた観ていて飽きない役者である、ということが再確認できた。ゾンビ映画にも関わらず、物語の最後までアダム・ドライバー演ずるピーターソン巡査は冷静沈着で違和感がバリバリなのだけど、その裏にある秘密も面白く、クソくだらないのに思わず笑ってしまった。ここはビル・マーレイのキレ方が良かったする。
ところで、ラストの説教臭さがネットで若干叩かれていたのだけど、まあ確かにゾンビたちがWi-Fiを求めて徘徊していたりして、伏線は張ってあるんだけど、たしかに唐突な感じが否めないよなあ。でもまあそのへんも含めてポンコツゾンビ映画のパロディだと思えば…うん。
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羅小黒戦記
[cf_cinema format=3 no=4 post_id=10667 text=”超話題になっていたのに全く見る機会が無く、早稲田松竹のレイトショーでようやく観れた…。いやすごいですねこれ。これは売れるわ。もっと早く観ておきたかったなあ。
まず主人公の小黒がありえん可愛さなのはもう当然なんだけど(猫だし)、師匠の無限も良すぎる。全く前知識無しで観たので、いきなりこいつが敵として出てきたので頭の中「????」だったのだけど、なるほど、上手いミスリードだなあ。で、無限を敵だと認識して反発する小黒と無限との旅が物語の半分以上を占めているんだけど、これがまた全く飽きさせない面白さ。漫画みたいな筏での漂流的な航海では小黒の心理に寄り添うかのような猫目線の低い視点のでレイアウトだったいるするのも上手いし、陸に上がってからは食い逃げやら実はメシマズな無限やらコミカルなシーンがテンポよく挟まれていて、じわじわと近づいていく二人の距離感の愛おしさ!ファーストフードで飯食べたり、思いつきでバイク買ったりする珍道中感がとてもいい。
後半はアクションメインなんだけど、ここもすごい。地下鉄の屋根上でのグワングワン展開する場面のキレの良さから始まり、ドームの中でのオブジェクトめちゃくちゃ多いけどCGだからなんとか描けてるみたいなすさまじい戦闘アクションまで一気呵成!個人的には、地下鉄での戦いのシーンで、本来の姿を晒して女の子を守った小黒が意気消沈しているところで、彼女から「ありがとう」と声をかけてられ、その瞬間列車が明るい地上に飛び出る場面が印象に残る。割とベタな演出だとは思うのだけど、やはりいい。あとナタ様ね。ちょっとしか出てないけど好きすぎる…。なんでも彼を主役にしたスピンオフもあるらしくてめっちゃ気になってる。
テーマ的にも、住処を追われた風息たちが悪役というのが新鮮で、一昔前だったら彼らが主人公だったのだろうと思うけど、道中で鳩老(おじいちゃん)が言うように、この映画ではより「複雑な世界」を描いている。自然対都市という対立構造の複雑化はすでに宮崎駿が『もののけ姫』で描いているけれども、宮崎が歴史をなぞって「征服された自然」でオチをつけているのに対して、『羅小黒戦記』は「都市の中に入り込む自然」という、これからの未来に希望を抱かせるような結末を用意した。これは大変好ましいことだと思う。
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