今月のおすすめ

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いやいやいや、何となく観に行った映画がいきなりオールタイム・ベストに食い込んでくることなんてあります????あまり好きではない形容詞ですが今回ばかりは使ってもいいでしょう。まさに「超絶大傑作」!!

韓国と北朝鮮のDMZ地下に設けられた秘密地下要塞。北朝鮮要人の誘拐と護送をCIAから請け負った傭兵エイハブ(ハ・ジョンウ)は部下を率いて作戦に挑む。しかし誘拐するはずの要人の代わりに現れたのは北朝鮮最高指導者「キング」だった…!さらに誘拐劇を大統領選に利用しようとするマクレガー大統領や中国の思惑も絡み、事態は思わぬ方向に進んでいく…。一体エイハブはどうなっちゃうの〜???

…とまああらすじだけ読むと、「まあ普通のアクション映画だな…」って感じなのだけど、いやはやこれがとてつもなく面白い。ふとしたミスから迫られる決断、深まっていく混乱、顕になっていく価値観…。特に中盤からのエイハブの忙しさときたら、観ているこっちが一緒になって段取りを考えてしまうレベル。画面越しに部下に指示を出さなくてはいけないわ、医者でもないのに敵国の指導者であるキングの治療をしないといけないわでもう大変。一息ついたと思ったら間髪入れず爆撃されて全てがパーになったりもする。何度も諦めようとして、その度に立ち上がる姿は画面のこちらがわにいる自分たちにとっても決して他人事ではない。観ている最中、何度も、「こんなにおもしろい映画があっていいのか??」「面白さがインフレすぎだろう!」と思ってしまい、これが現実なのか思わず考え込んでしまうレベルの面白さ!この拙い文章では全く面白さが伝わらないのがもどかしい!

キングの主治医でもある北朝鮮の医師ユン・ジイ(イ・ソンギョン)との関係もまた素晴らしい。というよりも後半からはこっちが本筋になっていく。些細な価値観やイデオロギー、双方の国が抱える歴史的対立を乗り越えて、「人の命」という一点で少しずつ彼らが結ばれていく様の美しさ。この映画、メインの部分が終わってからも凄まじいスピード感と超展開なのだけど、そんななか、ユンを治療しろと迫り、さらに過去のトラウマを物ともせず命がけで彼を助けるエイハブの姿からは、映画が始まったときからは想像もできなかった隣人愛を感じさせる。そう、結局これは壮大な愛の物語なのだ。その背後で大国同士が核の炎を煌めかせようとも、ここには確かに愛が存在している。韓国でなければ撮れなかった、希望の映画だ。

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観た映画一覧(時系列順)

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デ・パルマ監督、なんとなく苦手な意識があったんだけど、これも例にもれず…。併映の『PMC ザ・バンカー』が良すぎるのもあるけど、いまいち盛り上がりに欠けるなあ…、と感じてしまったのでした。

舞台はデンマーク。市警のクリスチャン(ニコライ・コスター=ワルドー)とバディのラース(ソーレン・マリン)はパトロール中に殺人犯に遭遇するが、クリスチャンの不手際からラースが重症を負い、犯人には逃げられてしまう。父親同然だったラースの復讐に燃えるクリスチャンは同僚のアレックス(カリス・ファン・ハウテン)とともに犯人を追うが…。

別につまらないというわけではないんですが、なんか登場人物のテンションがやや低めなのが印象的。みんな淡々としている。むしろこれくらいがリアルと言われればそうかも知れないけれど。邦画のクソハイテンション号泣とかに慣れてしまっているのかも。なんだか撮り方がドキュメンタリーみたいな雰囲気なんですよね…。伏線となるモノにこれみよがしにフォーカスを合わせていくカットとか思わず笑ってしまったり。デ・パルマってこういう監督でしたっけ?といっても自分もあまり観てないんですけども。「ドミノ」というタイトルからして「ははあ、復讐が連鎖していく感じだろうな…」と思ってみていると、そこまで連鎖しなくてそのあたりも無性に消化不良。

ただ、とてつもなく良かったのがクライマックスに置かれた闘牛場でのテロに立ち向かう二人の場面。その前のシークエンスでテロ集団がオランダの国際映画祭で乱射事件を成功させていたのもあって、何が起こるのかわからない緊張感がすさまじく、「志村、後ろ後ろー!」ではないけれど、思わず主役の二人に声をかけたくなってしまう臨場感があった。味わい深い作品である。

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喫茶店を営むカトウ(土佐和成)が仕事を終えて2階にある家に帰るとモニターから自分を呼ぶ声がする。自分と瓜二つの顔をしたそいつは「俺は2分後のお前だ」と素っ頓狂なことを口にする…。という珍妙な場面から始まるこの映画は、「テレビとモニターが2分の差で繋がってしまう」という極めてシンプルかつ捻りの効いた「ワンアイデア映画」だ。舞台も雑居ビル一つだけ。撮影はワンカット。まあワンカット撮影は実際にはシンプルからは程遠いと思うのだけど、これによってミニマムな舞台劇のような雰囲気が生まれているのは間違いない。原案・脚本はヨーロッパ企画の上田誠。要するにこれは『サマータイムマシン・ブルース』の兄弟のような作品と言ってもいい。役者やスタッフは皆ヨーロッパ企画の人間でこれが長編第一作。これで面白くならないわけがない!

物語序盤の段階では雑居ビルの1階と2階でに分かれたテレビとモニターの間を突然起きた謎の現象に翻弄される人々が(物理的に)行ったり来たりする。ワンカットなので常にカメラが登場人物に付き従っているのだけど、きっかり2分で移動を撮影しているのが地味にすごい。まあ、全編通して、この「2分」という制約にしたがってタイムテーブルをくんでいるそうなので、いやこれは単なるワンカット以上の難易度だ。

さて、最初は単なる2分後の未来が見えるだけの(これだけでもすごいのだが)ドロステレビだったが、とあるアイデアによって無限に未来を覗ける機械へと変貌し、物語は混迷を極めていく。この中盤からの畳み掛けるようなハイテンポの展開は本当に面白い。未来の自分の助言に従ってダンゴムシ買いに行くやつはいるわ怪しげな札束を取りに行くやつはいるわ上の階にいるヤクザが殴り込んでくるわ…。ワンアイデアを膨らませる発想の豊かさに驚かされる。本来は未来を覗き見るために使っていたドロステレビの映し出す未来の自分の姿によって現在が規定されてしまうという発想も面白い。タイムパラドックスを気にする登場人物たちがまずSF偏差値が高くて愉快なのだけど、画面の向こう側にいる未来の自分自身に「行くか行かないかはあなた次第…って言っても行くんだけどなー!」なんて煽られたりする。要するに、この機械はある種の呪いとして機能しているのだけれど、この呪いから実にバカバカしい方法で逃れる結末は、物語終盤に出てくるある人物たちの持つ権力性からの解放とも読み取ることができ、市井の一人物にすぎない主人公たちのしぶとさ/したたかさが実に痛快だ。70分という物語の分量も過不足ない感じで、超名作というわけではないけれど思わず人におすすめしたくなる傑作。

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緊急事態宣言ぶりのアニメスタイルセレクション@新文芸坐。今回は昼の部に参加。まあ数年前のオールナイトで同じプログラム観たし、今回はトークショーもないしで若干参加するのを迷ったのだけど、復活おめでとうの気持ちで参加させていただきました。で、まだ人出も無いだろうから…と思ってチケット発売3日目くらいに行ったらもうほとんど席が残ってなかったという。結局かなり前の方になってしまったのですが、逆にこれが良かった。どうせ疲れるなら限界までという感じで。

もう2回くらいスクリーンで観てはいるんですが、意外にも結構忘れているもんですね。例えば、冒頭にロージェノムの回想シーンが入ってるのとか。TVシリーズ一通り観た人には嬉しいんですよね、これ。観てない人にはわけわからないとおもうんですが。ちなみに一緒に行った友人二人はどちらもTVシリーズ未履修という…。しかし、冒頭からものすごく動きますよね。前述したアバンタイトルのロージェノム回想はもちろんのこと、今観ると第1話の部分の大胆なレイアウトとか印象的。

この劇場版で好きなのは、やはりTVシリーズの大胆すぎる改変の数々。「総集編」と言っていいんですかね。もはや別物。前編の肝、四天王戦なんかあまりにも違い過ぎて初見の時は腰が抜けましたね…。TV版もいいし、劇場版も素晴らしいという。あの詰め込み具合と狂ったようなテンポ、劇場版のほうがよりTRIGGER的というか今石監督っぽさが出汁のように良く出てると思うんですよね。で、テッペリン戦の前で終わるというのも品が良いですよね。普通だったらロージェノム戦の後で一旦締め、かなと思うところですが。前篇だけでかなり満足してしまう作品。

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紅蓮篇だけでもかなりのお腹いっぱい感なんですが、この螺巌編の詰め込み加減もすごい。シリーズ前半のボスであるロージェノム戦をアバンタイトルでさっと終わらせてしまうという総集編ならではのセンスの良さ。気になる人はTV版を観てね、という。

螺巌篇の見どころといえば、やはりこれでもかと出てくる劇場版専用機と別ルートすぎる後半の展開ですよね。まさに生存ルートって感じ。でもあの人とあの人は生き返らないんだよなあ…。特にお兄ちゃんは一回観てて印象に残ってるはずなのに涙腺緩みますね。デススパイラルマシーンのあたりだとロージェノムクローンの雑すぎるハッキングシーンを観た記憶が全く無くて笑ってしまいました。

とにかくもう、後半のアンチスパイラルとの戦いは登場人物がみんんあ異常なテンションでグワングワン動くので観ているだけなのに疲れてしまうんですよね。新文芸坐は画面もでかいし、音響もでかいしで、より疲れる。でもいい疲れ方でした。あ、そうそう、紅蓮篇・螺巌篇どちらも上映後に拍手があったのが印象的でした。みんな、アニメスタイルが復活するのを待っていたんだなあ…。

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映画館では実にロードショーぶり。DVDとかでも何回か観たし、内容も割と覚えてるのでまあわざわざ映画館で観なくてもいいっしょ。どうせ金曜ロードショーでやるしよぉ〜。と思ってたんですが、いやいやいやいやほぼ19年ぶりに劇場で見る『千と千尋の神隠し』、これはヤバすぎましたね…。

この作品、まあ色々語るべきポイントはあると思うんですけども、なによりひとまずアニメートの素晴らしさ。これを挙げるべきだと思いますね。いやまあ、宮崎監督の作品なんで大体どれも素晴らしいんでわざわざ言わなくてもいいかもしれないんですが、ほぼ2回目の鑑賞にしてようやくその素晴らしさが見えてきたというか。アバンタイトルからもうすごいんですよね。車の中でお母さんが「千尋、カードが落ちたわよ」の芝居とか、車を降りた千尋がドアを締めて窓から花束を入れるとか。そういう日常芝居に近い部分の細やかさがむしろ心に残ります(そしてカードが重要な伏線にもなってる)。中盤だと階段を踏み外して転げるように下っていく千尋の東映長編っぽさとか、釜爺のマルチタスク的にヌルヌル伸びる腕とか、靴を履く時の千尋の仕草とか、川の神からゴミを引っ張り出す時の爽快感とか、まあ全編これがアニメーションだ!といわんばかりの気持ちよさ!それもリアル寄りではあるけれども、『もののけ姫』のような固さがなくて、湯婆婆のふわっとした衣装とか欲望を飲み込んで肥大化したカオナシのように柔らかいモティーフが印象的。とにかく観ているだけで嬉しくなってしまう、そんなことを再確認したりしました。

あと、よく言われる、「資本主義社会を戯画化した油屋」なんですが、たしかにそれはそうなんですけど、今回改めて観て思ったのは、それと同時に、ここには宮崎駿の社会主義への絶望が反映されているのではないか、ということですね。「職を求めるものには職を与えなければいけない」という誓いであったり、種族による職能や階級制であったり、湯婆婆というある種のテクノクラートが全てを支配するという構造であったり。そうそう、もう一つ思ったのが魔女=テクノクラートが支配する油屋がソ連的な近代的共産主義社会であるなら、銭婆が済む沼の底の小さな家はおそらく宮崎監督が理想とする原始共産制的な社会なのではないかと。まああそこには社会というほどのものは無いわけですけど、とりあえず素朴ではある、と。銭婆が魔女でありながら技術である魔法を全く使わないのも面白い。彼女が千尋たちを迎え入れる時にドアの後ろで開け閉めしているのに気づいたのは今回の収穫でした。とまあ2回目にしてそんなとりとめのないことを考えたのでした。やはり宮崎アニメは奥深い!

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