『ザ・ボーイズ』をいまさら観始めた。
とりあえずシーズン1を観了。なんで今まで観てなかったんだろう、と思わざるを得ない面白さ。
第一話からキツすぎるゴア表現で、これはある種の「洗礼」ですね。ここからさらにひどくなっていくのだけど、それはそれとしてここでのロビンの死に様がシリーズ全体のゴア表現のメルクマールになってますよね。各回最低1名は嫌すぎる死に方をするのが最高。2話のケツ爆弾もグロくないのにグロいという絶妙な面白さだし、3話のケツに挟まれて死ぬくだり、4話のイルカ、どれもグロいんだけどちょっとコミカルなのが本当にひどい。いい意味で。
敵味方、という表現がだんだん曖昧になっていくのも特徴的ですが、聖俗併せ持つ、というべきか、主要人物で本当に清廉潔白な人間がほぼいないというのもすごい。大体1人は殺してるし。スターライトをセクハラで迎えたディープもそこだけ見ればカスな人間なんだけど、一方ではイルカやロブスターを助けようとする面もあり、物語の発端となったAトレインにしても単なる殺人クソ野郎ではなく、思い悩む人間である描写があるのがいい。まあそこを差し引いてもみんな大体カスなんですが。
それにしてもシーズン1の引きがすごい。物語の前提全てがひっくり返る感じ。まあ寝取られてることには変わりはないけど。今年中にシーズン4まで観終えたいですね。
「所有」による行動変容という希望
マイケル・ヘラーとジェームズ・ザルツマンによる『Mine! 私たちを支配する「所有」のルール』。「所有」という当たり前の行為/状態について深堀りしていく超良書。
まず所有とはなんぞや、ということで著者は6つの類型に分類する。「早いもの勝ち」や「占有」といった一見するとわかりやすいものであっても、それが一体どういう理屈で所有に至るのか、あるいはメリットやデメリットは何なのかが豊富な例示によって示されていく。一言に「所有」といって様々なパターンがあるんですね。
後半は「所有」に関する様々なパラメーターを調整することで社会を変革する試みが紹介されていて、このパートが本書の真骨頂。「所有」に関するルールをほんの少し変えただけで天国から地獄まで様々な未来が垣間見えるのはかなり面白い。このあたりは、「ナッジ」によって人々の行動を誘導し、社会を変えていこうとする行動経済学の雰囲気がある。著者たちが物事を地球規模で考え、「所有」ルールの変更(書中では「調整ダイヤルを回す」と呼ばれる)によって地球環境を改善していこうとしている姿は、理系に比して役に立たないと思われている社会学の力が実感として伝わってくる感じでとても良かった。
国家はどのようにして滅びるのか:『エリート過剰生産が国家を滅ぼす』
ノンフィクションでは今年ベストの一冊。同じようなテーマの本だとダロン・アセモグル とジェイムズ・A・ロビンソンによる名著『国家はなぜ衰退するのか』があるが、アセモグルとロビンソンが主に「収奪的国家制度」を衰退の要因と見做しているのに対し、本書の著者であるピーター・ターチンは主に二つの大きな要素を挙げている。一つ目は「格差の拡大」で、これは感覚的になんとなくわかるのだが、こちらはそれほど重要ではない。ターチンが最も重要視しているのは、「エリートの過剰生産」であり、これによって何が起きるかというと、権力を握ることのできなかった挫折したエリートが生まれ、そこから内戦や革命の火種となるカウンターエリートが生まれる、という流れ。なんだか「風が吹けば桶屋が儲かる」的な話なのだけど、「民衆だけでは革命は生まれない」というのはなるほどという納得感がある。さらにターチンはこの理論によってこれまでの歴史における国家崩壊のプロセスを分析し、人口動態学などを援用して歴史のパターンを見出していく。いかに栄えている国家であっても格差の拡大とエリートの過剰生産によって必ず崩壊に向かい、その崩壊の過程でこの二つの要素が解消されるというサイクルが繰り返される、というのがターチンの主張だ。このサイクルの分析によって将来の国家の崩壊も予見できるというのが本書のメインテーマである「クリオダイナミクス(歴史動力学)」なのだけれど、このあたりはさながらSF作家アイザック・アシモフの「ファウンデーション」シリーズに登場する「心理歴史学」を連想させる(本文中でもハリ・セルダンの心理歴史学が批判的に言及されているのが面白い)。
エンゾ・エンゾの歌声が癖になる:『パリでかくれんぼ』
早稲田松竹の「ジャック・リヴェット傑作選」にて。リヴェットは基本長いので一日一本がちょうどいい。
おてんば娘ルイーズ(マリアンヌ・ドニクール)、5年間の昏睡から目覚めた謎多き女ニノン(ナタリー・リシャール)、母を探す図書館司書アイダ(ロランス・コート)の3人を主人公にしたミュージカル仕立ての群像劇。基本コミカルだけど、中盤からはミステリアスな場面が出てきて、そのあたりも実にリヴェット的。タイトル通りパリが舞台になっていて、街並みを見ているだけで楽しい。女性たちが街を舞台に冒険するというあたりは1974年の傑作『セリーヌとジュリーは舟でゆく』を思い出させる感じで、あれが好きな人は絶対気にいるはず。
劇中ではクラブ歌手としてエンゾ・エンゾが登場し、彼女の歌声にのせてダンスが繰り広げられるのだけど、このあたりがこの映画の最大の見所。すっかりエンゾ・エンゾのファンになってしまいました。
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