映画版の『変な家』は味付けが濃すぎ(そこがいい)

予告編での佐藤二朗演ずる栗原さんのキャラ付けが濃すぎてこれは当たりだと思っていたのだけど、いやー、これ味付け濃すぎでしょ。というか原作が味薄すぎるんですよね。映画に先立ってわざわざ原作買ってきて読んだんですが、良い意味でも悪い意味でも読みやすくてテンポが良すぎるんですよね。ぶっちゃけダイジェスト小説というかファスト小説というか…地の文がほとんどなくてほぼ会話文で構成されていて…。間取りを使ったミステリーのアイデアは素晴らしいんですが、謎解きもすべて会話で説明されてしまうわけ。キャラクターも全く生きている感じがしないし、せっかく東京の家は残ってるのに内見申し込みもしないし、全部セリフで処理してて、いやもうなにこれ?という感じだったんですよね。同時に、たしかにこれは売れるわとも思いました。小中学生あたりにちょうどいい感じ。

で、この映画版、原作の微妙~なところがだいたい改変されていて個人的にはGOOOODな原作改変だったのでした。栗原さんのキャラ付けは序の口…、とはいえこの部分がかなり重要というか、佐藤二朗ってクセ強役者さんだから何に出てても「あ…佐藤二朗だ」と思ってしまうんですが、この映画はちょうどいいというか、まあいわゆるハマリ役という感じでしたね。安心感がある。

そして原作でオミットされていたアクション面がかなりモリモリモリになっていたのが更に良かったですね。東京の家もちゃんと(?)不法侵入して抜け穴を見つけるし、本家にもアポ無し突撃して結果的に◯◯◯するし。やっぱり因習村はちゃんと◯◯◯しないとね。スッキリ度高い。

とはいえ盛りすぎて暴走しているのも否めず…。東京の家の子供部屋の床の引っかき傷とかねえ。あるわけないのになあ、とか。なんの脈略もなくチェンソー婆が一瞬だけ出てくるあたりとか、手斧を持った石坂浩二が切りかかってくるあたりとか…。でも個人的にはこのへんの無駄すぎる部分も最高なんですよね~。無駄な部分を削ぎ落とした原作と真っ向から対峙するような盛り具合。やっぱり人生と映画には無駄な部分が必要なんですよ。

映画『変な家』公式サイト

『よふかしのうた』、素晴らしい幕引き

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期待を上回る最高すぎる物語の「おわり」。今年読んだ漫画の中でもベストだし、オールタイムベストまである。

吸血鬼ものって大抵がバッドエンドの印象があるのでどういう結末を持ってくるのかと身構えていたのだけど、こう来るかあ…!まあバッドエンドはまひるのところでやってるし、そういった意味では全体の構成が上手い。

195話からの怒涛の展開が凄まじい。「ありえたかもしれない」人間としての二人の関係性を綴る夢の切なさから、最後の一夜のはっちゃけぶり、始発電車の口づけから唐突な別れ、そして日常へと戻りつつ新たな関係を結び直す二人。最終夜の「それから」というサブタイトルに明確に表されているように、これからも二人の関係は続いていく。物語が終わっても我々の人生が続いていくように。

あとがきでコトヤマ先生は「コトヤマは「それから」という概念が大好きなのです。」と仰っているのだけれど、この感覚は自分も大いに共感できるところである。それは必ず終わってしまう「物語」に永遠性を与えられるという幻想を見させてくれるからだ。架空の登場人物たちが今もどこかで彼らの人生を送っていると信じさせてくれること、それが「それから」という概念なのだと思う。

写真の見方を知る:「中平卓馬 火|氾濫」@東京国立近代美術館

中平卓馬 火―氾濫

芸術としての「写真」にこれまであまり興味を持てなかったのだけど、その考えが揺さぶられた展覧会。同じものを見て同じようにシャッターを押しても、そこから生み出される写真はおそらく全く違うのだろう。そういった意味では展覧会前半、すなわち初期の作品群の持つ「アレ・ブレ・ボケ」はとても魅力的だった。

タイトル通りの良質な入門書:『はじめてのソーシャルメディア論』

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これからソーシャルメディアを始めようという大学生あたりにめちゃくちゃオススメできる本。ソーシャルメディアなんもわからんというリスキリングしたい社会人にもいい。ちゃんと単語の定義から入るのがいかにも入門書という感じでいい。ソーシャルメディアとはなんぞや、誕生から今に至る歴史、その過程で生まれてきた研究の数々が網羅的・体系的に整理されていて大変に便利な本。傍らに置いておくとすぐに参照できて良さそうだなあと思いました。

ソーシャルメディアって今や生活にあまりにも密着した最も近いメディアだと思うんですよね。そういった意味では研究者以外であっても目を通しておくのはかなり有益なのではないかと思いました。良い本です。