建築家アルヴァ・アアルトのドキュメンタリー:『アアルト』

テアトル東京の優待券消費枠。なので何の予備知識もなく行ったのだけど、なるほどアルヴァ・アアルトのドキュメンタリーか(ドキュメンタリーということすら知らずに観に行った)。優待券消費はこういう出会いがあるから良い。

アルヴァ・アアルト、当然何も知らない人だったのですが、あの丸い座面に曲がった合板の足がついたよく見る椅子は彼のデザインだったのですね。曲線と木でできたフィンランド風のモダニズム。

この映画は彼の建築がメインですが、特によかったのは深い森の中に建てられた「パイミオのサナトリウム」。上空から俯瞰して映してくれるのが嬉しい。全体の形がよくわかります。アアルトの自邸も白くてほどよい曲線があって実にいい建築。この時代のモダニズム建築って今見るとレトロなんだけど、逆にそれがいいんですよね。質がいいものは時代を超えられるような気がしますね。

映画『アアルト』公式サイト

ウェルメイドなカザフスタンのフェミニズム映画:『マディーナ』

雰囲気は明らかに中央アジアなんだけど、海が出てくるのでこれは?と思っていたらなるほどカザフスタン映画で海はカスピ海か。

幼い娘を育てるシングルマザー、マディーナが主人公。昼はダンス教室、夜はショーパブで働いていて、当然生活は苦しい。経済的な苦境だけではなく、周囲からの未婚であることへの圧力が彼女の心を蝕む。同居する弟は居場所がなく引きこもっている。

この手の話にありがちな薄暗い雰囲気の映画。寡黙で端正なカメラワーク、そして寄辺無き荒々しい海の描写が主人公マディーナの心情を端的に伝えてくる。海もそうなのだけど、プールの場面も挿入されていて、水の表現が巧みに使われている印象。特にクライマックスで静かに怒りを爆発させた後の水の場面は彼女の心が浄化されていくように描かれていて素晴らしい。

ところで、この映画は女性監督で内容的にもフェミニズム的なテーマなのだけど、スタッフが女性というだけで本国のカザフスタンではもはや上映不可なのだとか。あのへんもそんなに厳しいのか…という学びがありました。小ぶりだけど丁寧に作られた作品なので日本でもぜひやってほしいなあ。テーマとしては普遍的なわけだし。

第36回東京国際映画祭 – マディーナ

性自認と名前をめぐる小旅行:『2000種のハチ(仮題)』

東京国際映画祭ラスト。例年、コンペ中心に10本程度は観ているのだけど、今年は諸事情で土日が使えなかったのもあって6本しか観れなかった。しかもこの『2000種のハチ』(仮題)、チケット取った後に日本公開が決定していて、ちょっともったいない(邦題は『ミツバチと私』)。いや、いい映画でしたけども。

自らのセクシャルアイデンティティに悩む8歳のアイトール。少年的な愛称である「ココ」と呼ばれることを嫌い、「ルシア」と呼ばれたいと思っているが周囲には言えないでいる。アイトールは家族と共に美しい自然の残る土地でバカンスを過ごすが、そこで出会った友人たちとの交流の中で本当の自分を見出していく。

まだ幼い人間の性同一性をめぐる物語なのでかなり難しいテーマだと思ったのだけど、扱う手つきは繊細だった。特に、身体的な性というよりは「どう呼ばれたいか」という名前の問題にフォーカスしたのは上手い。物語のクライマックスにおいてアイトールの兄と母親が絞り出すように「ルシア」に呼びかけるシーンは役者の演技の上手さも相まって本作で最も印象的なシーンである。

【20000種のハチ(仮題)】 | 第36回東京国際映画祭

ユアストらなかっただけで100点!:『ゴジラ-1.0』

山崎貴監督なんでね、まあ期待値マイナスで挑んだわけですが、これが意外にも面白い!やっぱり『ドラゴンクエスト ユアストーリー』の後だと身構えてしまうと思うんですが、さすがにあれは外れ値だったみたいですね。

ドラマはやっぱりひどいんですよ。説明台詞であらゆることを説明しちゃうし、21世紀にもなって「やったか?!」が何回も出てくるし、テーマも何回も劇中で語られるので興醒めしちゃうし。脚本のレベルもひどいし、芸達者な役者が揃ってるのに悪い邦画にありがちなオーバーアクションが萎えさせてくるし。これは演出の範疇だと思うんだけど、このへん本当にセンスがない。

ところが、ゴジラの存在がこれらのドラマパートの微妙さを一気にひっくり返してしまうのです。序盤の放射能で巨大化する前のちょっと大きい恐竜くらいのサイズの段階からゴジラの恐怖がこれでもかと伝わってくる演出が見事。軍人たちを咥えるのにちょうどいいサイズ感。戦後のビキニ環礁の核実験によってこれが巨大化して銀座を襲うわけですが、このシーンの破壊のカタルシスもさることながら、個人的に注目したいのは上陸前の海上戦。敷島(神木隆之介)たちの乗る地雷除去のための木造船が機雷を武器にゴジラと対峙するのですが、このシーンの恐怖感を煽る演出がまたすごい。この種の海上チェイスみたいなものはあまり描かれなかったし、敷島という一人の男の視点から見たゴジラというテーマとも見事に合致しているのが素晴らしい。それは後半の特攻機のシーンにも繋がっていく。この最後の空中戦はまさかまさかのあの傑作機が登場するのもサプライズで思わず声が出ました。

これまでのゴジラって基本的にマクロ的な視点だったと思うんですが、この映画は自衛隊が結成される前の時代ということもあり、国というものが基本的に出てこないんですよね。あくまでも民間の力でゴジラを倒そうという点が、先行する『シン・ゴジラ』と好対照になっていて、これはねらってやったのだったらすごいなあ。ゴジラが何を象徴しているかであるとか、敷島という男が戦争を克服するというテーマであるとか、語るべきことが非常に多いのも面白い。最後の最後にいかにもなご都合主義があるんですが、それまでのドラマも大概ひどいので「もうこれでええわ…」となるのも面白い。

とにかくゴジラがすごいのでファンならずとも必見です。ドラマは本当にひどいのですが。

映画『ゴジラ-1.0』公式サイト

最近の作品多めで読み応えありの評論集:『この自由な世界と私たちの帰る場所』

個人的に今一番信頼している批評家、河野真太郎先生の新刊。

前半パートの「この自由な世界」はポストフェミニズム、ポストトゥルース、マルチバース、安倍晋三銃撃事件と宗教右派といったトピックをキーワードにメディア作品を読み解こうとするいつものスタイル。後半の「私たちの帰る場所」は著者の専門であるウェールズ文学、特にレイモンド・ウィリアムズを中心として比較文学的な試みを展開するパートになっている。

ウェールズ文学には全く造詣がないため、後半パートはわからないながらも新鮮だったが、やはり面白いのは前半パート。特に第4章「鏡の中のフェイクと真実 −『ドライブ・マイ・カー』における男性性とポストトゥルース」が良かった。タイトル通り男性性の概念とポストトゥルースによって濱口竜介監督の映画『ドライブ・マイ・カー』を読み解く批評なのだけど、演劇の持つ虚構性とキーアイテムとなる鏡がポストトゥルースの文脈で読み解かれており、自分一人で辿り着けなかった解釈を読むことができてとても参考になった。同時に、男性性の観点から見たこの映画の限界点も指摘されており、このあたりのバランス感覚はさすが河野先生といったところ。

リゾットメインの使いやすいリストランテ:Risosteria TRENTATRE@清澄白河

週末は清澄白河を散歩。天気が良く、犬がたくさんいました。

夜はちょっと足を伸ばして門前仲町の「Risosteria TRENTATRE」へ。

内装はウッディーで照明暗め。客層はカップルと女性二人連れが多かったかな。かなりちょうどいい雰囲気。

リゾットが主体という珍しいコンセプトでしたが、満腹で結局リゾットは食べられず。

ワインはお任せで適当に持ってきてもらうといい感じでした。

無花果とプラッタチーズのバルサミコソース、パテカンも良かったんですが、一番感動したのが「白いさつまいものニョッキ タレッジョチーズのソース」。「所詮はいもだしな…」と思って舐めてたんですが、これがめちゃくちゃ美味しい。おいもの甘みとチーズソースの調和も素晴らしいし、ニョッキの食感も絶妙…!このクオリティなら他のパスタも食べてみたかった…。

次回はリゾットを食べに来ます!