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意外になかった方法論:氷川竜介『日本アニメの革新』
氷川竜介先生の新刊。よくあるアニメ史の概説書かと思いきや全く違う切り口だったので驚かされた。「アニメ史」を考える上で今年最重要の一冊。
歴史を因果関係の連なりとして見ていくのは歴史学としては常識的だと思うのだけど、アニメ史においては人物や作品ベースの論評が中心で連続性のある歴史として語られてこなかったというのはなるほどと腹落ち。また作品の表現それ自体から時空連続体としての歴史を紡ぎ出そうというのも良かった。個人的な感触で言うと、古典的な美術史の方法論に近づいている感じがした。それでいて語り口が柔らかくて読みやすいというのもいい。
具体的には「日本のアニメの歴史を変えた」作品を8点選び出して歴史の「転換点」とし、そこから論じていくという形。この「転換点」は、本書においては「それ以前と以後で状況を不可逆的に変えてしまった作品」と定義されている。例えば「日本初の週一回30分のテレビアニメ」として名高い1963年の『鉄腕アトム』はそれまで不可能とされていた週一回30分のコンテンツ制作を可能にしたし、1974年の『宇宙戦艦ヤマト』は視聴者にティーンエイジを取り込むことに成功した。本書は、このような変化がなぜこれらの作品によって生じたのかを周辺の状況も含めて丁寧に論じ、新海誠の『君の名は。』まで60年余りの歴史を描き出している。
また、日本アニメの特色を「世界観主義」というタームで定義しているのも面白い。詳しくは本を読んでもらった方が早いのだけど、なぜここまで日本のアニメが複雑に発展肥大化していったのかがこのタームですべて説明されていくのはかなり爽快感がある。アニメ史に興味のある人は必読。
「椿椿山展」@板橋区立美術館
板橋区立美術館で開催されていた「椿椿山展」の最終日に滑り込みました。板橋区立美術館、三田線の終点である西高島平にあるんですが、こう言ってはなんですけど、本当になにもない駅ですね…。
閑話休題。椿椿山、全く知らなかったんですが、なるほど、渡辺崋山のお弟子さんなんですね。花鳥画がかなり良かったですね。《紅葉小禽図》(ca. 1830-1844)の色の鮮やかさと小鳥の可愛さが印象的。人物画も面白くて、かなり写実寄りなんですね。皮膚の皺とかがきちんと描かれている感じの。儒学者の佐藤一斎と縁があって、夫妻を70歳と80歳(夫人は7歳年下)と10年の幅を持たせて描いた軸が面白かったです。師である渡辺崋山を描いた作品も複数あり、その際のエピソードの興味深いものがありました。
一番良かったのは展覧会の顔にもなっている(?)、《君子長命図》(1837)。この時代にありがちな全く可愛くない猫ちゃんが描かれているんですが、お尻の穴が見えているのがキュート。地味に画面上方の蝶の鮮やかさも素晴らしい。
あっさり目ながら椿椿山という画家のエッセンスが凝縮されていて、場所柄混み具合もちょうどよく、良い展覧会でした。
古いけど面白い:ジェームズ・ホワイト『生存の図式』
第二次大戦末期に沈んだ貨物タンカーに取り残された5人の男女と、遥か彼方の銀河系を往く異星人の移民船団…。全く境遇の異なる集団の物語が交互に描かれるのだけど、この二つが「極限状態でのサバイバル」というキーワードで結びついていく。
とはいえ、どちらも極限状態であり、サバイバルでもあるのだけど、そこでも全く違ったアプローチが出てくるのが面白い。例えばそれは人口調節、つまり出産に顕著なのだけど、空気も水も乏しく未来もない改装タンカーと人口を増やして新天地までたどり着かないといけないという移民船団のシチュエーションの違いに表れているのが面白い。
しかしこの手の物語構造だと二つの線がどこかで交差しないと盛り上がらないはずなのだけど、方や数百年単位の恒星間移民船団と明日にも圧潰するかもしれない沈没船。どこで繋がりができていくのかと思いきや、まさかの沈没船が空気と水を自前で供給するようになり、独自の文明を築いていくというウルトラCであった。リソースが極限まで減らされている状態で文明を作っていくという展開は矢部嵩『〔少女庭国〕』を思い起こさせるノリでめちゃくちゃ面白い。食料と電球はいくらでもあるという環境なのだけど、空気と水はどうしようもないよな~と思いきや、たしかにその方法があったか!という。まあ言うて10年持たずに全滅するやろと思っていると、どんどん子供が増えて宗教やら対立やらが生じていくちょっとしたシヴィライゼーション的な面白さ。
ところで、これ1966年の作品なんですね。それにしてはあまり古びた感じが無いのはすごい。この手のテーマが好きな人にはとてもおすすめ。
現代日本と地続きのテーマが刺さる:『聖地には蜘蛛が巣を張る』
https://gaga.ne.jp/seichikumo/
2000年に起こったスパイダー・キラー事件をベースにした倒叙型ミステリー。監督は『ボーダー 二つの世界』のアリ・アッバシ監督で、前作同様いかにも映画祭っぽい映画である。ざっくり言っちゃうと「宗教かぶれのミソジニーおじさんが娼婦を殺しまくる話」なんだけど、犯人であるサイード・ハナイ(メフディ・バジェスタニ)が捕まるまではどちらかといえば物語の枕で、本編は彼が捕まった後と言ってもいい。
逮捕される過程でも、彼の殺人行為を「街の浄化」として肯定している様子がちょくちょく描かれているのだけど、連続殺人鬼が逮捕されて一安心かと思いきや、そこから民衆がサイードをストレートに英雄視し始めて度肝を抜かれる。それまでサイードサイドから家族の描写をしっかりと描いていたことも効いていて、観ていると「もしかしておかしいのは我々なのでは??」と揺らがされてしまう恐ろしさ。どこまで本当かわからないけど、エピローグのシークエンスはハンディカムのリアリティもあいまって本当にゾッとさせられる。
ところで、この話は地理的には遠いイランの話なのだけど、「差別主義に基づく誤った正義感の暴走」という構造自体は普遍的なもので、日本でも全く他人事ではないと強く感じた。むしろ宗教のようなわかりやすい構造がない分、それは薄皮の下に隠れているようにすら思える。例えばそれは2016年の「津久井やまゆり園」の事件が代表的だと思うのだけど、殺人にまで至らずともミソジニーに基づく歪んだ正義感が大衆を煽動して実害を与えている例が現在進行形で行われている。劇中でサイードは自分の正義を確信しており、判決の前日には「明日は神の見えざる手を見ることになるだろう」と物語の語り手であるジャーナリスト・ラヒミ(ザーラ・アミール・エブラヒミ)に対してイキリ倒すのだけど、結局判決は「死刑」であり、いざ執行間際になって突然慌て始めるというあたりはいかにもありそうな展開だと思った。そう言った意味では、日本の日常とも地続きであり、必見の作品。
『ダンジョンズ&ドラゴンズ アウトローたちの誇り』はとにかくたのしい!
誰かが言っていたけれどまさに「ちょうどいい映画」。壮大なファンタジーであり、血湧き肉躍る冒険がありつつ、陰謀論でもあり、それでいて空気はコミカルであり、さらには人生の落伍者たちが再起を図るという古典的ながら素晴らしいテーマを描いている。そして、これだけの要素を詰め込んでいるのに全く詰め込んでいる感じがしないのが何よりすごい。「ダンジョンズ&ドラゴンズ」というオタクしか知らないTRPGがベースになっているのに、原作を全く知らなくてもめちゃくちゃ面白いのに、尖ったところがチラチラ見え隠れするのがいい。
面白いポイントはいくつもあるのだけど、個人的に良かったのはクリーチャーの造形。今作の敵はチンケな詐欺師とイカれた魔法使いなのでモンスターの出番はあまりない。しかしピンポイントで出てくるモンスターがかなりツボ。例えばタイトルにもある「ドラゴン」。まあ出ないわけはないのよな、と思っているとまさかあんなドラゴンが出てくるとは…。転がって移動するドラゴンとかさすがに初めて見たわ。デブ猫かわいい理論。あと後半に出てくるミミックも良い。重そうなのに機動力高いという。
ギミックの使い方も面白くて、特にポータルと財宝の使い方が上手い。ポータルはそういう使い方があったかー!というのと、あ、逆にそれで無効化されちゃうのね、という。財宝は物語上の伏線をスマートに解決しつつ、群衆の性質をうまく掴んだ名シーン。口から出てくるというのもガーゴイル的な中世の文脈を踏まえているようで個人的に面白かったです。
そして何より全編を通してコミカルな空気が支配的なのが素晴らしい。人は死ぬんだけど、あまり悲壮的でないし、仲間同士の軽妙な会話の楽しさ。これは絶対吹替で観た方がいい。墓場で死者を蘇らせるシーンがあるんだけど、そこの死体役が異常に豪華なのも笑ってしまった。黒幕の一個手前のおっさんの小悪党だけどヤベーやつというあたりはトランプ的でもあって時代の空気感のようなものを読んでいる感があったのも面白い。最後の魔法使いを物理で殴るのあたり、ひどすぎるけど一等好きなシーンですね。
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