今月のおすすめ

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 良家の令嬢として文字通り箱入り娘として育てられた華子(門脇麦)と地方都市から上京してきた美紀(水原希子)。上流階級の中で婚活に勤しむ華子とだらだらと日常を生きる美紀という決して交わることにない二人の人生が、超セレブの幸一郎(高良健吾)の登場によって不思議な交差を始める。

 まず主役の二人の女優が良い。門脇麦はいかにもセレブのお嬢様然としているし、庶民役の美紀のだらしなさも堂に入ってる。この手の階級差もの(特にコメディでは)はカリカチュアライズされた描写が鼻につくのだけれど、この映画ではさりげない描写で彼らの育ちの違いを描いているのが好ましい。例えば前半の華子の婚活の場面で示される神田・酔いの助のお手洗いの描写とか。そして、華子の婚活相手として登場する幸一郎の登場により、この物語は典型的な三角関係ラブコメになるかと思いきや、そうはならない。かといって、所属する階級が異なる二人の女がいわゆる流行りのゆるめな「百合」的な関係を築くというわけでもない。あくまでもこの物語は二人の全く異なる出自の人間が「何者か」になろうとする話だ。物語の終わりに彼らが下す決断は爽やかな開放感を鑑賞者にもたらしてくれる。

 一方で、タイトルにある「あのこ」が示すように、この映画は「断絶」の物語でもある。異なる階級にいる華子と美紀は幸一郎という存在によって束の間の交流を持つが、その関係が長く続くことはない。そして、上流階級の中でもさらに階級が上の幸一郎の元に嫁いでいった華子もまた、結局のところ元の階級へと戻っていく。物語中でさり気なく言及される『オズの魔法使い』のように。タイトルが「このこ」でも「そのこ」でもなく「あのこ」であるのは、ガラスの天井のように目に見えない壁が、しかし確実な距離感をもって張り巡らされていることをしっかりと示している。この物語は階級の中でもがく女性たちが開放される話であると同時に、超えられない壁の存在を否応なく意識させられる、ある種の諦念に満ちた映画だ。

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観た映画一覧(時系列順)

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 予告編観たときは「大泉洋主演のよくあるどんでん返しコメディっすかね〜」という印象だったのだけど、蓋を開けてみれば新しさを感じさせてくれる「近未来的な」邦画だった。さすがの吉田大八監督。ダサいものは作らないよな〜。

 斜陽産業である出版業。しかしその中でも歴史のある「薫風社」は業界の重鎮として存在感を放っていた。主人公・高野(松岡茉優)は薫風社の看板である文芸誌「月刊薫風」の若手編集者。社長急逝のあおりを受けて事務方に異動になる高野のもとにカルチャー誌「TRINITY」の謎の編集長・速水(大泉洋)が現れる…。

 まあ一言で言っちゃうと「社内闘争もの」なんだけど、原作である塩田武士があてがきしたというだけあって大泉洋演ずる謎の編集長・速水のキャラクターが際立って面白い。彼の打ち出す奇策・謀略が実に楽しく、「また大泉洋かよ〜〜」と思っていたし、実際いつもの大泉洋のまんまだったんだけども、これがこの劇の中ではトリックスター的に作用して素晴らしい「ずれ」を生み出している。まあいつもトリックスター的だろと言われればそうなんだけども。序盤で大物作家・二階堂(國村隼)を接待する(接待してんだか罠にかけようとしてんだかわからないが)場面での「そこの酒屋で買ってきたんです」には爆笑したし、その直後の「しっかりしてくださいよ」のあたりの緩急も実に上手い。こんな愉快で、それでいてちゃんと仕事をする大泉洋が何度も観られる。

 そして、斜陽産業である出版業を舞台にして、「変化」に対する人々の様々な反応を描いていくのがこの映画のもう一つの魅力だ。変化に順応していく者、最後まで抵抗を続ける者、あえて変化を加速させていく者…。映画の序盤、高野は二階堂に対して「あなたの作品の女性観は古い」と指摘する。ここで面白いのは高野の上司が「先生の作品のスパイは昔気質って設定だからそれでいいんだよ」と反応するのだけど、高野は「だからこそ現代の視点で批評的な視点が必要」と返すくだりで、こんなやりとりを序盤にぶっこんでくるあたり、この映画の方向性が定められている。そして、この変化に対してオルタナティブな道が用意されていたり、悪者が存在していないというのも素晴らしい。この映画の登場人物は皆、変化に対して各々のスタンスで立ち向かっていく。そういった意味では、正統的なお仕事映画としての魅力も多分に持っている。

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 ネバダ州にある小さな企業城下町・エンパイアはサブプライムローンの崩壊による不況によって町の閉鎖を余儀なくされる。従業員として、市民として暮らしていたファーンは一台のバンに荷物を詰め込み、車上生活者として放浪を余儀なくされる。あちこちの町で季節労働者として働きながら、同じような暮らしをするノマドたちと出会い、彼女の旅は続いていく。

 画面の美しさとそれを彩る劇伴に心奪われる。荒涼とした冬の荒野から始まり、片田舎の人通りの無い街角、岩だらけの奇観、遠くに見える山々、夜空の星々、そしてかつて暮らした家の廃墟まで、カメラはじっとそれらを見つめ続ける。ノンフィクションを原作としているからだろうか、その視線はドキュメンタリーのように淡々と、ファーンという一人の中年女性の旅に据えられている。主人公ファーンを演じたフランシス・マクドーマンドの年季の入った表情の芝居もとても素晴らしい。

 面白いのは、この物語が単純な「サブプライムローン不況の被害者」を描いているわけではないということだ。確かにファーンの出立のきっかけは住む町の閉鎖というサブプライムローンに起因する要因だが、しかし彼女は頑なに屋根の下で暮らすことを拒み続ける。また、旅を続ける中で様々な人々と出会い、楽しみを共有していく場面を映し出すことで、物語序盤に感じていた「経済的に困窮しているかわいそうな人の物語」という印象は徐々に薄れていく。しかしかといって、自然の中で車に乗って放浪生活することが最高の生活だと称賛するわけでもない。駐車に困ったり、車が故障して金の無心をしたり、親戚には変人扱いされたり…。彼女の旅には常に困難がつきまとっているし、物語の始まりがそうであるように、濃厚な死の香りが終始画面に漂っている。2度目のAmazonのランドリーにリンダがいなかったように、老齢のファーンの旅は確実に死へと向かっている。だが、それがなんだというのだろうか?

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 新文芸坐で行われた前夜祭イベント「『街の上で』公開前夜祭/特別先行上映 今泉力哉と恋の街」にて一足早く鑑賞。『愛がなんだ』『サッドティー』と並べられていたので群像劇恋愛映画まつりでもあった。今泉監督お得意のコミカルなラブストーリーながら、今回は「下北沢」という街が主人公の作品でもある。

 なんといってもやはり主役である若葉竜也の佇まいがいい。『愛がなんだ』の仲原のキャラクターも面白かったけど、今回の青くんもいい。古着屋のカウンターで気怠げにページを捲る姿がもう良すぎる。客とのやりとりのあのテンポも、ああ今泉監督だなあと思う。喋り方の自然な気の抜け方が作品のカラーと本当によく合ってるんだよなあ。物語後半の城定さん(中田青渚)との延々と続くグダッとした長回しの会話の場面とか最高。おなじみ成田凌の使い方も良かったし、個人的にはあの映画監督が意外なところに登場するのも嬉しい。

 そして、最初にも書いたけどもう一つの主役でもある「街」の描かれ方がいい。青のバイトしてる古着屋から、古本屋、喫茶店、カフェ、と実際の場所を撮っているという実在感が今泉監督独特の明るい画面の中でふわふわとした非現実的な空気を帯びていて、ある種のワンダーランド、ユートピアのような雰囲気を醸し出す。下北沢という街に思い入れはないんだけど、思わず行きたくなってしまう。そんな映画だ。

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 ロードショーぶりに観たけどやっぱりいいね。『街の上で』を観た後だと成田凌さんが主役級で若葉竜也さんが脇役(といっても群像劇だから主役ではあるんだけど)という逆転した組み合わせも面白い。

 主演の岸井ゆきのさんが即席のラップを呟きながらぼんやりと歩いていく長回しのカットとか、何度も出てくる動物園のゾウとか、酔いの助の前での会話とか、深川麻衣さんと岸井さんの段差の付いた言い争いとか、まあ見どころしかない。「ああ今泉監督作品だなあ」と感じる台詞回しの雰囲気とかぼんやりと明るい光の具合とか、何度観ても良い映画。なんだか切なくなってしまうので、気が進まない感じの映画ではあるのですけど。

 数ある名シーンの中でも個人的に好きなのは、江口のりこさん演ずる謎のお姉さん・スミレさんが若葉竜也さんの仲原くんと静かに怒りをぶつけ合う場面。ここで唐突にパスタを茹で始めるというのがいい。今思うとちょっと村上春樹っぽいよね。雰囲気はぜんぜん違うんだけど。あとはもちろん、若葉竜也さんの「幸せになりたいっすねえ…」。あのまだまだ若いのに諦念に支配されているかのような達観した演技がとても印象的。いい役者だなあ、若葉さん。

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 めちゃくちゃ久々に観たので、まるで初見のような新鮮な気持ちで観ることができた。初期のこの作品を観ると、今泉力哉という監督が「人を好きになるとはどういうことか?」という主題、そして群像劇という形式を変奏曲のように最新作である『街の上で』まで繰り返し繰り返し描いていることがわかる。

 2013年の作品というだけあって、若書きと言うか荒削りっぽい感じはあるのだけど、その後の今泉作品に通ずるセンスや軸のようなものがすでに出来ていて安心感がある。特に、群像劇特有の込み入った人間関係や伏線が思わぬ形で絡み合い、意外な形で決着を見せる脚本の巧みさなどは『街の上で』にもそのまま受け継がれていて、やっぱり今泉監督は昔からすごかったのだなあ、と思わず嘆息してしまう。

 いい場面はいくつもあるのだけど、やはりファーストカットの食卓でのネチネチとしたやりとり、そして最後の砂浜での花束でのアタックの場面が絶品。そして棚子役の青柳文子さんの演技と美しさには惚れ惚れとする。年一回とは言わずともたまに見返したくなる作品だ。

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 初見。全く予備知識無しで「いつものディズニー」のノリで観に行ったら初っ端実写のおっさんが出てきてひっくり返ってしまった。クラシックの知識まったくないので楽しめるか若干不安だったのだけど、冒頭で「全く新しい芸術」と大見えきっているだけあって、全然面白い!80年前の作品なのに全く古びてないのはやはりクラシックをベースにしているからかなあ。シルエットのオーケストラ演奏場面から抽象的なアニメーションに入っていくのもいいし、ああいうアニメーションって今だとインディペンデントの作品でしか観ることができないので逆に新鮮で良かった。

 とはいえ、やはり個人的に見どころだと思ったのは物語性のある楽曲で、作品の顔にもなっている「魔法使いの弟子」はさすがに顔だけあって面白い。ていうか想像してたより数倍デンジャラスな話で笑ってしまった。人工無能に仕事任せたら大変なことになったみたいな話だけど、思いの外大変事になるのな…。夢オチというわけでもないし。音楽と動きのタイミングのシンクロが楽しすぎる。その次の「春の祭典」もいい。曲も知ってるし、タイムスケールの大きさとコミカルな動きのお

 ところで、自分、クラシック聴きに行くと1000%寝てしまうんですが、この映画も例に漏れず…。最後の最後で寝てしまいました…。すみません。また観ます!

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 夭逝したチャドウィック・ボーズマンの遺作にしては地味なアクション映画…という予告からの印象をガラッと覆す濃厚な作品だった。…まあそこまでは言いすぎかもしれないけど、単にチャドウィック・ボーズマン演ずる刑事デイビスが犯人を追いかけてドンパチするだけではないのがいい。とはいえドンパチもちゃんとやってて、デイビスの射撃があまりにもヘッドショットすぎて怖くなってしまった…。そんなことある???ってくらいあたる。

 タイトルにある21ブリッジはマンハッタン島にかかる21の橋のことで、夜半に発生した強盗殺人犯を追い詰めるため、警察が橋を封鎖して犯人たちを追い詰めるという流れ。『踊る大捜査線』じゃないけど、橋の封鎖がメインテーマかと思って観ているのだけど、そこのところは驚くほどあっさりしていて、物語はあれよあれよと明後日の方に転がっていく。J・K・シモンズ演ずる署長のキャラが濃すぎて明らかに怪しいのだが…。最後の最後までどっちに転ぶのかわからないという緊張感もあり、脚本はそれなりに凝った作り。

 物語はデイビスの幼少期、殉職した彼の父の葬儀の場面から始まるが、この父の遺志を継ぎ刑事となったデイビスが一貫して正義のために動いていくあたりもとても良かった。観始めたときには地味な印象なのだけど、観終わった時にはチャドウィック・ボーズマンという役者の遺作として、それほど悪くないという感触が残る。R.I.P.

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 噂通りのすげえ作品。『PUIPUIモルカー』とかスタジオ・ライカの諸作品で俄にストップモーションが脚光を浴びているけど、本作はスタジオ・ライカの大作にも引けを取らない完成度。むしろ大衆向けに最適化され「CGでいいんじゃないか?」と思ってしまったスタジオ・ライカの作品よりもストップモーションらしさやテーマの生々しさ、粗削りの尖った部分も含めて個人的にはこちらに肩入れをしたいという気持ちがある(監督がTwitterで炎上した件は作品の内容ともリンクする部分があるため軽々に肯定するのは難しいのだけれども)。

 コマ撮りのアニメートも非常に丁寧で演出もいいのだけど、本作で特に素晴らしいのは主人公が探検することになる地下世界のジオラマ。単なる通路ですら細かい石が落ちていたり、室内に所狭しと置かれた細やかなオブジェクトの数々…。そうかと思えば何階層にも渡って天井がない膨大な空間に、人知を超えた巨大な建築物が屹立するようなメガストラクチャー好きにはたまらない場面が頻出したりして、これだけでもう最高。弐瓶勉の古典的名作『BLAME!』が好きな人ならハマること間違いない。

 キャラクターもいい。地上でダンス講師をしていた主人公はスリルと冒険を求めて地下世界への調査員に応募する。着いて早々バラバラにされた主人公は記憶を失いつつ不格好なロボットに再生され、様々な地下世界の住人達と出会い、冒険を繰り広げる…。まさかの「変身」で大活躍する「三バカ兄弟」もいいし、バルブ村で出会う人々、異形種の兄妹、みんな地下で生きているという生々しさを纏っている。ツルッとしたCG(まあ最近はあまりツルッとしてないけど)では表現できない世界がある。エイリアンっぽいクリーチャーの造形も最高で、口(実はケツ)からウ○コ出してるカットにモザイクがかかってるのは笑ってしまった。あ、そうそう、これ映倫の指定が「G(全年齢)」なんだけど、「絶対指定ミスだろ…」って感じでクリーチャーやマリガンたちがグロい死に方するのでそのへんは注意‼

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 「まんま『ハッピー・デス・デイ』やん…」と思っていたのだけど、こちらが違うのはループに入りこんでいるのが2人(+α)という点で、ここから新しい感覚のラブロマンスが生まれている。正直、ループの中で恋人と二人っきりなら永遠の夏休みを生きてもいいんじゃね?と思うし、中盤まではそういうノリで二人のバカバカしいバカンス生活の描写が続く。予告編なんかでフューチャーされていたこのへんの描写も実に楽しく、バーに乗り込んで謎ダンスパフォーマンスするシーンとかもう最高。

 とはいえ永遠に続くものなんてないとでも言うように、中盤から物語はありうべき方向へと向かい始める。サラ(クリスティン・ミリオティ)に振られたナイルズ(アンディ・サムバーグ)は彼女を探して彷徨う。一方、ループからの脱出を諦めていないサラはというと…。ここでの彼女は「ループものでやるべきこと」をしっかりとやっていて、「物語に成長とかいらない」派の自分でも思わず見入ってしまったし、これくらやってくれれば成長にも説得力が出てくる。元の世界戻っても食いっぱぐれないだろうし。偉いなあ…。

 ところでクライマックスの洞窟の場面で「どっちかロイにも教えてあげてよぉ〜!!!」と思って全く別の心配をしながら観ていたのだけど、エンドロール中のカットでちゃんとフォローされていて思いっきりニコニコになっちゃいました。おじいちゃん良かった…。ていうかこの爺さん、俺の知ってるJ・K・シモンズと違うんだが???キャストでひっくり返ったわ。

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 「新文芸坐×アニメスタイル セレクションVol. 128 大友克洋監督のアニメーション」にて。まあ年1回観てるから特に言うことはないんだけど、本当に何回観ても面白いし飽きないなー。新文芸坐なので音がいいのはわかってたんだけど、冒頭のドォーン!ドォーン!から身体が震える音圧で笑ってしまった。やっぱり冒頭の春木屋からクラウンとの抗争のシーンがセンス良すぎるよね。ジュークボックスの動きを合間合間に入れつつのラッセーラーが最高。井上さんのカット上手すぎですよね…。あと今回はトークショーに橋本敬史さんがいらっしゃってたので煙の表現に注目して観てたんですが、たしかに『MEMORIES』『スチームボーイ』と比べるとこう丸くてモワッとしてる感じですね。何回観ても発見があるなあ。

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 35ミリフィルムでの上映。「彼女の想いで」トークで井上さんが「4℃の田中栄子(プロデューサー)さんに直さなくていい人集めてくるので作監やって」と言われて「絶対集まらないだろうな〜」と思って引き受けたら案の定全部直す羽目になったという話が面白すぎた。っていうか毎回そうだけど、井上さんめっちゃ喋ってて楽しすぎましたね。今回は冒頭の自己紹介のときに「今回は乗っ取らないようにします!」って言ってたのに舌の根も乾かぬうちにマシンガントークが始まってて笑ってしまった。橋本敬史さんとアニメ様(小黒祐一郎さん)が体系も顔も似てるのでMC二人みたいになってた。いやめちゃくちゃおもしろかったからいいんですけどね。という話を踏まえると「彼女の想いで」って井上さんの作画が堪能できるという意味では贅沢だなあ。あ、あとすっかり忘れてたけど、この作品だとCG使われてるのが殆ど無い(サルガッソーの外見のバラとか)ので、人物とかにかかるブロックノイズの表現が手描きだということがトークで言及されていて、そういえばそうなんだけど、そういう目で見るとめちゃくちゃすごいですね…。初見の人が会場に多かったのも良かった。

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 橋本さんがエフェクト・メカ作監をやっているということで実質今回のメイン。新文芸坐の花俟さんも言ってたけど、「毎回かけて再評価していきたい」に同意。やっぱり話はちょっと微妙な気はするんだけど、作画は最高ですよ。22万枚使っただけはある。作画最高!脚本微妙!という点では『メトロポリス』あたりが近い感じ。『MEMORIES』の「大砲の街」から続けて観ると、妙に凝ったカット(人物が手前に歩いてきてカメラが回り込んで角を曲がるみたいな)が多くて、うーんそこに作画カロリー使ってんの、みたいのはありつつ、やはり芝居の細かさは素晴らしいですね。

 エフェクト周りの話だと、エフェクト(蒸気・煙)のキャラ表があったという話も衝撃的だったのですが、井上さんが「煙の動きを描いてると最後が微妙になっちゃうことがあってどうしたらいいかわからない」と仰っていて、それに対して橋本さんが「逆から描くんですよ。頭の中で計算して」と返していて、井上さんが「理屈はわかるんだけどすごいなあ〜」と感心していたのが印象に残りました。『スチームボーイ』後半は蒸気だらけでエフェクト的には見ごたえがすごい。エフェクトってさらっと流し見ちゃう感じなんだけど、今回はしっかりと観れた気がします。

 ところで、なんか今回思ったのは「これって『ふしぎの海のナディア』っぽさがあるよな…」ってことなんですよね。一輪車メカとか万国博覧会とか何を考えているかわからないヒロインとか…。

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