今月のおすすめ

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 素晴らしき「盆地映画」!「あの花」も「ここさけ」も良くできてはいたんだけど、正直言うとそこまで個人的に入れ込むような映画ではなかった。しかし、秩父三部作の最後を飾るこの映画はとても「刺さる」。と言っても、SNSなどで言われているような「何者にもなれなかった中年(慎之介)に自分を重ね合わせて泣く」というのとは少し違う。

 むしろその逆で、この映画の中には「何者にもなれなかった」あるいは「まだなれていないしなれないかもしれない」人々しか出てこない、という点が素晴らしい。それは秩父という(一見すると)何もない片田舎から「東京に出て音楽で身を立てる」という大言壮語を掲げるあおい(若山詩音)であり、彼女を育てるために恋人と別れ地元で生きることを選択した姉のあかね(吉岡里帆)であり、そして夢破れて地元に帰ってきた慎之介(吉沢亮)だ。そこにさらにもう一人、13年前の慎之介が生霊としてあおいの前に登場する。彼はあおいが練習場所としているお堂の中から何故か出ることができない。「東京で一旗揚げる」という夢を抱いている13年前のしんのと落ちぶれて故郷に帰ってきた現在の慎之介。13年という時間の持つ重みと世界の厳しさをファンタジー的な手法を以て素晴らしく活写している。

 しかし、この映画はさらにその先をも描く。二人の慎之介と交流するうちに、「大人になる」ということについて意識を深めていくあおい。『天気の子』でも描かれていたように、「大人になる」ということはある種の妥協の産物であり、大多数の人々にとっては諦念を抱きつつ生きていくことに他ならない。そして、それに抗うのは若者の特権とも言える。物語の終盤、あかねを救うためにお堂の呪縛を解き放ち、大空に飛翔するしんのとあおいは正にそれだ。彼らを追う現在の慎之介は走りつつ叫ぶ。「めちゃくちゃじゃねえか!」と。そう、青春とは「めちゃくちゃ」なのだ。

 

 アニメーションならではの表現でファンタジーの世界に文字通り飛躍し、そして何でもない日常へと回帰するこの映画は、「何者にもなれない世界の中で生きていく」ということの愛おしさを描き出す。同様のテーマを提示した『天気の子』とともに2019年を代表するアニメーション映画の一本だ。

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観た映画一覧(時系列順)

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 「社会的弱者が〜」みたいな言説は聞き飽きてると思うのであえて書かないけど、まあとにかくホアキン・フェニックスの怪演ですよ!これに尽きるし、これだけで十分に元は取れますね。物語序盤の、指でむりやり笑顔を作る場面も他に例がないカットで印象的だし、とにかく全編に渡ってジョーカー≒アーサー・フレックという弱々しくも恐ろしい怪人を見事に演じきっている。凄まじい演技力に脱帽。

 社会的弱者であるピエロのアーサーがじわじわと追い詰められ転落していく物語なのだけれど、その最果てに狂おしいほどの開放感が待っているので、まあ規制したくなる当局の気持ちもわかりますね。法とか道徳とかを超越しちゃうと人間って本当に自由なんだなって。例の階段でのタップダンスの場面とか、バックの空の広さと相まって、「社会から解き放たれちゃった人」の表現が実に上手い。同じ階段が前半ではアーサーを苦しめる抑圧の象徴のような形で描写されていて、後半に至るまでの彼の世界の窮屈さが映像表現としても伝わってくる。映像としての映画の技術の高さが内容とマッチしているレベルの高さ。

 

 あと、あのタイトルの出方とインパクト!これもめちゃくちゃ印象に残りますね…。圧迫感がありつつも、その後に来る開放感を暗示しているかのような。時代性を反映した社会性の強い内容、それでいてコミカルかつスリリングな展開はエンターテインメントでもあり、今年のベスト10に入るのは間違いない作品。

 
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 舞台も登場人物も全部フランスなので、かなりの変化球を投げてきたなという印象だったのだけど、やってることは前作である『万引き家族』とおなじというか、少なくとも通底したテーマが流れていると感じた。『万引き家族』は貧困問題が前面に押し出されていて、その内側により本質的なテーマが隠されているという印象だった。本作ではそういったフックとなる要素がほとんど無いため、語りづらくはあるのだけれど、しかし監督の語りたい物語はより明瞭になっているように思える。

 大女優ファビエンヌ(カトリーヌ・ドヌーヴ)の半生を綴った自伝『真実』の発売を機に、彼女の元へと帰ってくる娘のリュミール(ジュリエット・ビノシュ)一家。しかし、『真実』に省かれていたある事実を巡って小さな諍いが起きる…。というのが大筋だが、『真実』という挑戦的なタイトルそのままに、「”真実”とは何か?」が大きなテーマだ。劇中でファビエンヌが言うように、「記憶はあてにならない」し、人の感情に果たして真実などあるのだろうか。物語後半、母のために「仲直りの台本」を書くリュミールや「動物に変わる魔法」について語るファビエンヌといったエピソードは、”真実”というものがいかに複雑で曖昧なものであるかを示している。

 

 役者陣がどれも素晴らしく、特にリュミール役のジュリエット・ビノシュは素晴らしい。さらに彼女の娘であるシャルロット役のクレモンティーヌ・グルニエも子役であるのに、とても上手い。彼女が言う「何が本当なの?」はいささかテーマに対して直接的すぎる気もするけれど、印象的なセリフだった。

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 東京国際映画祭1本目は「ワールドフォーカス」で台湾の作品。一つの家族をめぐる再生の物語…と書いてしまうと陳腐な印象だが、2時間半以上の大作ということもあって実に様々なことが起こる。そして何が起きるかわからない緊張感が、この長い時間の間、鑑賞者の視線を画面に繋ぎ止める。

 アバンタイトルからもう衝撃的な展開で、淡々と走る二人乗りバイクからの「死ね〜〜〜!!」だもんなあ。この静と動のコントラストが凄まじい。あらすじとしては、この冒頭の傷害事件で少年院行きとなった少年アハー(ウー・ジェンホー)を軸として揺れ動いていく家族の関係が描かれるのだけど、やはり単純な話ではなく、息子を突き放す父・アウェン(チェン・イーウェン)、唐突な展開を迎える兄・アハオ(グレッグ・ハン)、妊娠したアハーの恋人と彼女を家に迎え入れる母・チン(コー・シューチン)と様々な人々が各々の思惑で動いていく。唐突な死があるかと思えば、コミカルな場面もあり、人生とはかくあるべしという雰囲気が漂う。禍福は糾える縄の如し。一番笑いを誘っていたのは少年院での婚姻の場面。自動車学校にバキュームカーで突貫してくる被害者の不良少年のお父さんの場面も良かった。

 

 アハーが出所してきてめでたしめでたしかと思いきや、そこからもまた色々あって、まあ長いのだがむしろそこからが本編というか。お父さんがどことなく『この世界の片隅に』の片渕須直監督に似ているのだけど、この人がまためんどくさい人というか、これまでにないくらい不器用な人でとてもいいキャラクターなんですよ。アハーが出所した後に、かつての悪友がやってくるお約束展開があるのだが、こいつがいつの間にか消えていて、その謎がまさかこんなところで回収されるとはね。不器用すぎる…。お父さんがことあるごとに口にする「時をつかめ、方向をさだめろ」(勤め先の自動車学校の標語である)も面白い。

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 東京国際映画祭2本目。2本目もうっかり2時間半くらいのを選んでしまうという痛恨のミス(ミスではないが)。あんまり考えないでどんどん取ってしまうとこうなる。EX Theatre Roppongiのあのクソ椅子に2時間半(Q&Aセッション含めると3時間!)というのはなかなかつらいものがある。しかも仕事帰りだし。翌朝起きたら身体バッキバキでした…。

 しかもこの『マニャニータ』、長回しが長い長い。Q&Aで観客から「時間の使い方が贅沢」という意見が出ていたけれど、言い得て妙。例えば、主人公のエディルベルタが部屋に帰ってきて、ビールの栓を開け、飲み干し、また一本のビールに手を伸ばし、飲み干す、といったくだりを固定カメラでじっくりと撮る。去年の公開されたデヴィッド・ロウリー監督の『ア・ゴースト・ストーリー』(2018年のマインベスト映画だ!)の中でヒロインのルーニー・マーラが延々とケーキを貪り食うカットがあってとても豊かな時間だったのだけど、この映画ではそんな長くて淡々とした場面が常に積み重なって作られている。観る人によっては退屈に感じてしまうかもしれないが、「テンポがいい」だけで一定の評価を得てしまいがちな現代の映像表現の中でもがくような輝きを放っている。

 

 ストーリーはシンプルな復讐譚なのだが、前述のようにワンカットがひたすら長いのに加えて、本筋に至るまでの日常描写がまた長々と続いて、ここでもまた時間が贅沢に使われていて、かなり評価に差が出るポイントだと思う。個人的にはこういった一見すると無駄な部分こそが映画の世界を描き出すために重要な部分だと思っているので評価したいのだけれども、仕事帰りということもあり、ちょっと寝てしまったのは本当にすみませんとしか言いようがない。後半の復讐劇に移るとテンポが加速して普通の映画のように進行するのも面白いのだが、一番驚いたのは、ラストシーンの「歌」である。ここまで長々と描いてきた物語をこういった形であっさりと終わらせるのもちょっと陳腐な感じがして変な印象で、さらにそのシークエンスが実話ベースだということに衝撃を受けた。まさに事実は小説よりも奇なり。

 個人的には前半の日常場面の方に惹かれる場面が多く、特に軍を首になってやさぐれた毎日を送る主人公が毎日ひたすら酒を飲む、しかも毎カット瓶ビール2本(フィリピンだしサンミゲルですかね…)をグビグビいっちゃうあたりに強い共感を覚えたりもした。いい感じの場面でマーライオンしちゃうあたりが地味に泣ける。

   
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 今回の映画祭コンペの中でマイ・ベスト!…と思っていたらあれよあれよというまに東京グランプリを獲得して非常に嬉しい。他のももちろん良かったんだけど、これが一番まとまりがいいというか、完成度が群を抜いて高かった。

 身体の不自由な叔父と暮らすクリスティーナ。本当は都会に出て獣医師を目指したいが、叔父を捨てていくこともできず、家畜の世話と叔父の世話をする単調な日々。そんな彼女に転機が訪れるが…。

 

 繰り返される一日の丁寧な描写が良い。一見するとつまらない単調な日常を、じっくりと描いていくことでそこに内在する豊かさが顕になっていく構成は、同じく東京国際映画祭で賛否両論を巻き起こした渡辺紘文監督の傑作『七日』を思い起こさせる。特に食事を用意して食べるカットが素晴らしく、コミカルなシーンが挟まれるのも相まって、固定カメラのワンカット長回しであるにもかかわらず視線を惹きつける力強いカットだ。

 ある意味で物語の転機ともなるクリスティーナとマークのデートの場面も良かった。想像通りに叔父が付いてきてしまうことで気まずいような心温まるようなコミカルなシーンになっていると同時に、彼女の人生における叔父の位置づけが定めらられていく場面でもある。物語の終わりに彼女が選ぶ選択は苦々しくはあるのだが、現実的だ。同じような結末に至る映画が過去の東京国際映画祭でやっていたと思うのだけど、ちょっと思い出せない。ともかく、変わらない世界をある意味で肯定するこの映画の結末は印象に残る。現実とはそうそうハッピーエンドではない。そして物語の最期のカットが実に素晴らしい。テレビのない世界で二人の関係もまた、次第に変化していくのだろう。

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 アメリカあたりで流行ってる新興系キリスト教カルトもの。クラブミュージックっぽい感じでえらくカッコいい説教が始まるので引き込まれてしまう。TEDっぽい団体もあったりして意識高い系の雰囲気というか、とにかく「何やらカッコイイ」ので若者なんかが惹かれてしまうのはわかる気がする。

 主人公のミリアム(ヨセフィン・フリーダ・ペターセン)はキリスト教新興宗教団体のカリスマ指導者の娘でダンスの世界チャンピオン。全ては順調に進んでいたはずの彼女は世界タイトルの防衛戦で倒れてしまう。揺らぐ信仰と家族の圧力の果てには…。

 

 「信仰の揺らぎ」を描いた作品は数あれど(最近だと『僕はイエス様がきらい』とか)、キリスト教系新興宗教の華やかな雰囲気の下で、布教者側に揺らぎが生じるというところにこの作品の妙味があると思う。物語後半で行われる合宿での森を逃げ惑う人々の場面の緊張感は凄まじく、その後の穏やかな場面とセットでこの映画の本質を語っているようだ。しかし、宗教の圧力も恐ろしいが本当に恐ろしいのは家族だというのも悲しい。

   
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