ポップかと思いきや重い…:『墓泥棒と失われた女神』

痛快エンタメ的なノリで観に行ったらバリバリの文芸映画だった(ので中盤ちょっと寝てしまった)。この手の映画にありがちだけど、序盤はスロースタートで後半に行くに従ってじわじわと面白くなっていく感じ。傑作。

舞台はイタリア・トスカーナ地方。遺跡を発見できる能力を持った考古学オタクの青年…というよりは中年に差し掛かりつつあるイギリス人アーサーが主人公。タイトルにあるように彼と仲間たちは墓泥棒を生業として日銭を稼ぐ日々。彼は死んだ婚約者のことが忘れられず、毎日を夢の中のようにぼんやりと生きている。

物語のキーワードとなるのは「逆転/反転」だと思ったのだけど、田舎町の伝統的な男/女の価値観が入れ替わる終盤のアジール的な女たちのコミュニティのくだりではそれを特に強く感じたし、最後のオチはなるほど、そうくるか、と唸ってしまった。この最後のシークエンスは本当に上手くて、墓荒らしが墓に入るはめになり、さらに赤い糸によって、思い出の中の地下と地上とが結び付けられるというのがいい。

ところでタイトルにある「失われた女神」は墓泥棒たちが見つけた貴重な女神像のことなのだけど、首を失ったことによってむしろ価値は増したのではないかなあとも思ったりもした。そういった意味では船上でのアーサーのあの行動はスパルタコ的にはむしろナイスな行動だったのではないかと思わなくもない。このあたりは「見る/見られる(主体/客体)」という、ある種伝統的なテーマも垣間見えて、このあたりも面白いポイントだったり。

映画『墓泥棒と失われた女神』オフィシャルサイト

黒沢清といえばこの感じ!:『Chime』

映像もさることながら音だけでここまで不気味な世界を作り出せるのはさすが黒沢清。タイトルにあるChimeも印象的なのだけど、不協和音とノイズが生み出す非日常的な映画的空間の凄まじさ。特に終盤のシークエンスにある主人公・松岡がドアを開ける場面が良い。家というプライベート空間と公共空間の境目としてのドアは典型的だけど、それを音で表現していくのがいい。いつもながら自然光を使った薄暗い空間も大変に自分好み。

これもまた黒沢清的なんだけど、おもむろに人に刃物を突き立てるのがいいなあ。刃物がある家庭以外の空間としてのお料理教室というシチュエーションも工夫がきいていて面白い。食材に刃を立てるのか人に刃を立てるのかという違い。例えば路上のペットボトルを拾い上げて捨てるカットといった細かい演出を45分という短い尺の中で積み重ねていくことで、松岡という人間が少しずつ浮かび上がってきて、そして霧散していくのがまた面白いポイントだと思う。

Chime | Roadstead