逆説的フェミニズム映画

今週はアカデミー賞受賞の話題作『教皇選挙』を観ました。噂に違わぬ面白さでした。パッケージはどうみてもアート寄りだし、実際におじさんたちが籠もって会話しているだけなのに中身はかなりエンターテインメント。そしてほとんどおじさんしか出てこないのに(そしてそれゆえに)、かなりのフェミニズム映画。

物語はローマ教皇の死から始まり、教皇選挙すなわちコンクラーベを執りしきることになるローレンス枢機卿(レイフ・ファインズ)の視点で進んでいく。教皇が亡くなった後の部屋の封印の様子や世界中から続々と集まってくる枢機卿たち、投票の様子などほとんど知らない世界の内情が語られていくのが実に面白い。もっとも監督のインタビューによると、専門家でもわからないことが多く、創作もかなり混じっているのだとか。そして、その中で繰り広げられる陰謀とスキャンダルと根回し。大まかに保守とリベラルの派閥があってバチバチやりあっているわけなのだけど、当初はリベラルに肩入れしていたローレンスも、なかなか決まらずに苛立ち、もうどっちでもいいから決まってくれ~となってしまうのは、申し訳ないけど少し笑ってしまった。

ところで、タイトルにも書いたようにこの映画はフェミニズム映画である。もちろん100人を超える枢機卿の中に女性は一人もいないし、舞台となる隔離された空間で映し出される女性は選挙の手伝い、すなわち「家事」を担うシスターたちだけだ。そしてそれゆえに、この映画はキリスト教という宗教が、強い家父長制に支配されていることを思い出させる。コンクラーベという閉鎖空間を使って、「見えないもの」を浮かび上がらせようとする。例えば、ややネタバレになるが、劇中で起こる「外の世界」でのある事件についても、カメラはシスティーナ礼拝堂の外に出ることはないし、教皇が選出された後の群衆の反応は画面に映されることなくただ歓声だけが聞こえてくる。また、以外な人物が教皇に選出される物語の結末はさらにその奥へと踏み込む。このあたりの決断については意見の分かれるところではあるのだけれど、妥協的な落とし所としては個人的には良かったでのはないかと思う。

それにしても、表面的にはおじさんたちが喧々諤々しているだけなのに、ここまで面白く、そして考えさせられるとは。

映画『教皇選挙』公式サイト|2025年3月20日(木・祝)全国公開

ゲームを通じて人を描く


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自分の小説オールタイムベストの一冊である『ザ・ビデオ・ゲーム・ウィズ・ノーネーム』の赤野工作先生待望の第二単著『遊戯と臨界』を読みました。個人的には「ザ・ビデオ・ゲーム~」の方が完成度も高く依然として好きなのですが、今回の短編集も粒ぞろいで傑作の域。

収録作の中では地球と月とで格ゲーの対戦をする「お前のこったからどうせそんなこったろうと思ったよ」だけ既読で、後はすべて初読。タイトルがそもそも「赤野工作ゲームSF傑作選」なので、ゲーム×SFなのですが、その様相も多種多様で、こんな切り口があったのか、と驚かされること必至。例えば「全国高校eスポーツ連合謝罪会見全文」はタイトル通り謝罪会見を文字起こししたスタイルなのだけど、eスポーツが現代の「武道」のような括りになった近未来で「ティーバッギング」(格ゲーなどで負けたキャラクターの上で屈伸運動を繰り返す行為、死体蹴りの一種)の是非を巡る話。死体蹴りを真面目に議論するくだりがおかしいのだけど、反面、いかにもありそうだなというリアリティがある。あるいは「これを呪いと呼ぶのなら」は、プレイした人が次々と不幸になっていく「呪いのゲーム」に纏わる話で、呪いの正体に恐れおののかされると同時に、恐怖というものが感じられなくなったらどうなるのか、という実験的な物語でもある。

赤野工作の作品に特徴的なのは、「(ビデオ)ゲーム」というものを通じて人間たちの関わり、あるいは社会というものを描き出そうとするところにある。彼が描く架空のゲームの奇抜さはもちろん魅力の一部ではあるのだけれど、それ以上に描き出される人間模様、変わっていく社会の様相が魅力的だ。その意味ではゲームがフレーバー程度にしか使われていないにもかかわらず、濃密な人間関係が浮かび上がってくる書き下ろしの「曰く」が本書の中ではベストだった。みんなわかってるのに突っ込まないのも粋だねえ。


江戸絵画における「黒」ってなに?

エド・イン・ブラック 黒からみる江戸絵画

毎度毎度、質の高い展示を繰り出してくる板橋区立美術館の「エド・イン・ブラック 黒からみる江戸絵画」に滑り込みで。西高島平という場所の悪さにもかかわらず館の前には行列ができていました。まあここ未だに現金決済だからそれもあるんでしょうけど、それにしても館内も盛況。展示ケースの前に滞留が起こり、待ち時間の長さから少しウトウトしてしまいました。

さて、今回のテーマは江戸絵画における「黒」。そもそも江戸絵画ってなんや、というあたりはやや気になるのですが、まあ江戸時代に描かれた絵画、程度の理解でいいのかなと思います。夜を描いた作品や中国イメージの展開からくる黒背景の作品、そして色彩豊かな中であえてモノクロームで描くことで聖性を喚起する作品など、黒の切り口も様々で見ごたえがありました。白眉は最後に据えられた狩野了承の《秋草図屏風》を当時(に近い)環境で鑑賞するというもの。暗闇の中で蝋燭の灯を模した光の中で鑑賞するのは一つの体験として非常に良かったです。去年のアーティゾン美術館でやっていた「空間と作品」展でも同じような趣向の展示があったと思うのですが、こういった試みが増えると非常に面白いですね。