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初カウリスマキは『過去のない男』
初カウリスマキ(たぶん)。新作『枯れ葉』公開記念のユーロスペース特集上映にて。
カウリスマキってこういう作風なのね。ねっとりとした暗い画面、淡々と進む物語、善良で朴訥とした人々。かなり好みの雰囲気。
タイトルは「過去のない男」ですが、より重要なのは「名前」ですね。どこか幻想的な雰囲気の作品ですが、名前まわりの話になると急に現実に引き戻されたかのようにシビアな展開になるのが面白い。名前がないので当然まともな職にもつけないし、警察の取り調べでも答えが要領をえない。この映画は過去を取り戻すというよりは、名前を取り戻しつつ過去を忘却することで、ちょうどよく「生まれ変わる」映画なのではないかと思って観ていました。
良かったシーンとしては銀行強盗の社長まわりのエピソードですね。この社長も本性として悪い人間ではないし、見ず知らずの人間に後始末を頼むあたりなど、お人好しとも言えるほどの性善説。この人間に対する信頼感がたまらない。
売れて欲しいけど難しそう。『屋根裏のラジャー』
これは興行苦労しそうだなあ、と思っていたけど、案の定…。正直言って宣伝が微妙であまり食指が動かなかったのですが、小西(賢一)さんが総作監だし、クオリティは高いだろうと踏んで観に行ったわけですが、これが期待以上の出来。
まずテーマが個人的にかなり好き。イマジナリーフレンド、すなわち「想像(創造)され、消えゆくもの」の物語なのですが、例えば『鋼の錬金術師 シャンバラを征く者』やジョン・スコルジーの『レッドスーツ』のようなメタフィクションものに片足を突っ込んでいるような感覚。あるいは『アリーテ姫』のような「想像力」を主題にした諸作品への連想。「想像されたもの」の有限性と永遠性をめぐる物語であるのもいい。「想像=フィクション」と現実との関わり方という点で非常に面白かった。
もう一つの魅力は悪役であるミスター・バンティングの存在。彼は子供時代のイマジナリを手放せずに大人になってしまった「大人こども」なのだけれど、他者のイマジナリを吸収することで自らの想像力を維持している。想像力(創造力)に対する飽くなき欲望は、どことなく枯れてしまったクリエイターを想起させ、この映画が持つ「ジブリ的」な作風と考え合わせるとやはり「大御所のあの人」を思い出さずにはいられないのだけど、当の本人は縦横無尽な想像力に満ちた傑作を物しているわけだし、まあ考えすぎですね。
そして何より素晴らしいのがアニメーションならではの想像力の奔放な表現。奇想天外なモーフィングは今監督の『パプリカ』の系譜に連なる気持ちよさと不気味さのアンビバレントな魅力に満ちている。特に素晴らしいのがクライマックスの病室での「イマジナリー・バトル」。『リトル・ニモ』を思い出させるベッドでの船出から魚雷に変身するミスター・バンディング、空を駆けつつ、巨大な渦潮へのダイブ、と目まぐるしくも素晴らしい小旅行。
今年のベスト小説!『トゥモロー・アンド・トゥモロー・アンド・トゥモロー』
あんまり数を読んでないからあれなんだけど、今年の小説ベスト。オールタイムベストにも入れたいレベル。
ゲーム制作をめぐって繰り広げられるひと組の男女の四半世紀にわたる友情の物語。友情と言っても一筋縄ではいかないのがこの小説のいいところで、幼少期の出会いから始まり、すれ違いからの断絶、大学生になっての再会、ゲーム作りのパートナーとしての日々、共通の友人でビジネスパートナーでもあるチャラ男(めっちゃいいやつ)に寝取られ、ゲームクリエイターとしての成功と挫折、友人の死、寡婦と独身貴族…。そして二人の間には常に「ゲーム」があって。
人生をゲームのアナロジーとして語る小説は多くはないが、本作はその中でも珠玉の出来。現実とゲームの決定的な断絶を描きつつ、それでもなおゲームのように人生を生きられたら…という夢が描かれる。読んでいる間に頭に浮かんでいたのは、これまたゲーム×人生の傑作小説、赤野工作先生の『ザ・ビデオ・ゲーム・ウィズ・ノーネーム』でした。
物語の「NPC」として、悲劇的な終わり方ながら、満足した人生を回顧するマークスのパートがとりわけ良かった。少しコニー・ウィリスの『航路』も思い出す。
歴史学かくあるべし:『「命のヴィザ」の考古学』
一昨年のマイベストノンフィクション『「命のヴィザ」言説の虚構』に続く「命のヴィザ」シリーズ第2弾。やはり地味ながら素晴らしい出来。
今回は「命のヴィザ」という「伝説」が、ドラマや映画を通じて、いかにして形成されたのかを探っていくというテーマ。実際の映像のディスクリプションを通して矛盾点を挙げていくという、まさに重箱の隅を突いていく作業なわけだけど、これは他の色々なものであると嬉しいなあ。とにかく映像になっているとそれだけで信ぴょう性が増してしまうという問題はあると思いますね。
菅野先生の主張としては前作から一貫していて、「1940年7月の時点でリトアニアのユダヤ人において、真の脅威はナチドイツではなく宗教弾圧を強めるソ連だった」というもので、「いやそんなんんどっちでも良くないですか?」となってしまう人もいるのはわかるのだけど、そこにひたすら拘っていく姿勢がとてもかっこいいし、それって実はめちゃくちゃ大事な視点ですよね。ということが前作に続けて本書を読むと実にしっくりと馴染んでくるのも面白いポイントですね。セットで読むとシナジー効果が増し増し。
それにしても前作から思っていた感想だけれども、オーラルヒストリーの危うさというものをひしひしと感じますね。少なくとも単体では簡単に根拠にできない。そういうことも本書を読むとよくわかります。
そういったい意味では「命のヴィザ」という現象に興味がなくとも歴史学齧っている人は必読かもしれない。
今一番面白いアクション漫画:『戦車椅子-TANK CHAIR-』第5巻
毎回毎回めちゃくちゃだなと思ってるけどさらにはちゃめちゃになってきた。静と幽李ちゃんの共同生活のシーンのほのぼのさから棺桶(冷蔵装置)が戦車椅子になるわ幽李ちゃんが二代目戦車椅子になるわ椅子がハンマーになるわかなりイカれてる四姉妹の母親が登場したりエスパー・ヨミでめちゃくちゃ笑っちゃったりしたんだけど、いっちゃん最高なのが「おねがい」のシーンですね。あれはずるいわ。
ところで黒坂(兄)の動きを見るとワンチャン騰子ちゃん復活ある?あとアニメ化してくれ。
素晴らしき大団円:『ダンジョン飯』最終第14巻
絵に描いたような大団円。黒幕との対決は前巻で終わり、最終巻はまるまるエピローグという贅沢な構成。ひたすら飯を作って食べているというのもいかにもこの作品らしい。そしてシリーズを通して描かれた食というものを通じて、「いつでも食べたいものが食べられるわけではない」(人生がいつも上手くいくとは限らない)というテーマに繋がっていくのが実に上手い。
いやあとても贅沢な体験だった。もう一度最初から読み返そう。
「MOTアニュアル2023 シナジー、創造と生成のあいだ」@東京都現代美術館
シナジー、創造と生成のあいだ | 展覧会 | 東京都現代美術館
今回で19回目となる「MOTアニュアル」。今回のテーマは「創造と生成」なのだけれど、ここではアーティストによる創作が「創造」、AIなどにより自動的に作られるものが「生成」と定義されている。まさにタイムリーなテーマだと思うのだけど、準備期間1年とか取るだろうに、よくこの企画ができたなあ、と驚くばかり。
気になった作品をいくつか。
展示冒頭に置かれた新井美波の作品は、作家の直筆原稿を針金で書き順通り再現したもの。平面の状態では単なる文字にしか見えないものが、金属によって立体化されることによって強い身体性を獲得する。この世界では激減してしまった「書き文字」というものが本来的に持つ、強烈な存在感を改めて思い出す。
(euglena)の「watage」シリーズは種子にならなかった綿毛を使った作品。あまりにも繊細で、「息を吹きかけないでください」との注意書きがある。そういえば自然もまた元祖「生成」の場所であった。
市原えつこの《ディストピアの美食》はタイトル通りの作品なのだけど、機内食を再現した「パンデミック時代」とベタな「ディストピア飯」の間になぜか「大ヤギ信仰時代」なる謎の時代が混じっているのが面白い。オタクが好きそう。
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