母は強し、子は鎹。『コカイン・ベア』

ベースはバカ映画なのに思いの外物語がしっかりしていて驚き。滝を観に行く二人の少女、紛失したコカインを探すチンピラたち、コカインを偶然見つけて関わってしまった地元のチンピラ三人組、消えたコカインを追う老刑事と女性刑事のバディ、ビジターセンターの女性保安官と彼女が好意を寄せる動物保安取締官。こういった癖のある登場人物たちが、タイトルにもある「コカイン・ベア」を軸として山に集まってきててんやわんやする群像劇となっています。いやしかし、この尺でキャラクターが多すぎるな。そういう意味でも見どころのある脚本ですね。

ネタバレになっちゃうんですが、最初はバカ映画としか思えない出だし(山にやってきたカップルがクマに襲われてタイトルドン!)から、「親子」という大テーマが次第に浮かび上がってくる。簡単に言っちゃうと「母はつよし!」という映画ですね。父-子という関係も描かれるのですが、どちらも破綻するあたりに語るべきポイントがある気がしますが、まあここでは割愛しましょう。

もちろん、ヤク中のクマの活躍も見どころ。クマってあんなに早く登れるんだ…!という衝撃(本当に??)。そしてピンチに陥ったクマが雪のように降ってくるシャブ(コカインですが)によって復活するシーンが最高!これが観たかったんよ。

映画『コカイン・ベア』オフィシャルサイト

待望の文庫化でありがたい。河野真太郎『戦う姫、働く少女』

読みたいと思っていた本の文庫化なので迷わず購入。前作の『新しい声を聞く僕たち』が素晴らしかったのが大きいのだけど、こちらと対になるものだったと知って納得。『新しい声を聞く僕たち』は男性論で本書は女性論。

フェミニズムの中でも特にポストフェミニズムを軸として、アニメ、映画、漫画、文芸がジャンル横断的に論じられています。作品群としては『アナと雪の女王』『おおかみこどもの雨と雪』『千と千尋の神隠し』『新世紀エヴァンゲリオン』『インターステラー』『かぐや姫の物語』『風の谷のナウシカ』などなど。意外な作品が意外な共通点で括られて語られているのが面白いポイントですね。意外な共通点というのがフェミニズム的視点というわけなのですけれども。

特に良かったのが高畑勲の『かぐや姫の物語』と宮崎駿の『もののけ姫』『風の谷のナウシカ』を対比しつつ、「新自由主義者」としての宮崎駿を炙り出していくくだり。宮崎駿はエコロジスト、(左翼的な意味での)リベラリストという印象が強かったのですが、確かにエコロジストでありリベラリストでもありつつネオリベラリストであるという状態は当然あり得るのですよね。反戦主義者としての宮崎駿とミリタリー大好きな宮崎駿が矛盾した存在として同居しているように。

また、本書の軸となっているポストフェミニズム、第2波フェミニズムについてもぼんやりとしか理解していなかったので、そのあたりの解像度を高められたのも良かったです。河野先生は今月来月と立て続けに新刊を出されているので、そちらも早速買って読んでいこうと思います。

まぼろしとしての生の価値:『アリスとテレスのまぼろし工場』

まず強く印象に残るのが背景美術。舞台となるのは昭和末期の製鉄で成り立っていた地方都市で、いかにも地方都市的なアーケードのついた商店街やロードサイドのオートレストラン、人々が集う公民館、そして物語の軸となる製鉄所が、アニメーションらしからぬ、というよりむしろアニメーションでなければ表現できないほどの緻密さで描かれる。

そしてこの背景美術の緻密さ、リアリティが物語のテーマと直結している。ネタバレになってしまうのでここでは詳しく述べないが、タイトルにある「まぼろし」と過剰なまでの現実感は相反する要素として密接にリンクしている。人々が本物だと錯覚しているまぼろしはすでに現実である。このあたりのテーマはコロナ禍における現実感の消失した日常を想起させるし、例えば會川昇が『劇場版 鋼の錬金術師 シャンバラを征く者』でアルに語らせた「…ぼくたちは…あなたの夢の中の存在じゃないよ…たとえもう命が尽きるとしても…ぼくは、ぼくだ、確かに…ここにいる、忘れないで」という言葉をも思い出す。そして、そういった意味で語るとするなら、この映画は新海誠の「震災三部作」の延長線上にあるとも言えるし、昭和の終わり、製鉄の町の最盛期を映画の中に閉じ込めるという意味では「失われた30年」に対するレクイエムであるとも言えるのかもしれない。

もちろん、そういった部分を抜きにしてみてもアニメーションの質の素晴らしさには目を見張るものがある。前半の日常芝居の繊細さもそうだけれど、中盤の告白シーンの感情表現、そしてクライマックスのカーチェイスなど、エンタメ的にも見どころが多い作品だ。

映画「アリスとテレスのまぼろし工場」

痛快東部戦線ウエスタン:『スターリングラードの凶賊』第1巻

『大砲とスタンプ』の速水螺旋人先生による新作。

1942年のスターリングラードを舞台にしているけど戦争をそのままテーマにしていないところがこの作者らしい。『大砲とスタンプ』でもそうだったけど前線そのものではなく、後方であったり周縁であったりする部分に焦点を当てていて、そしてそういった領域でも容赦なく戦争が迫ってくるというのが良い。1942年のスターリングラードといえば独ソ戦でも有数の激戦地だったわけですが、その中でも前線とそうでない部分があり、人々の生活がある…というあたりは『この世界の片隅に』を彷彿とさせる雰囲気もある。まあやってることはだいぶちゃらんぽらんなわけだけれども。

いつもながらキャラクターがいい。特にソ連とドイツとどちらの陣営にも属さず、その狭間でしたたかに立ち回る主役の二人が実に魅力的。美形の二丁拳銃使い・ルスランカと謎のアジア人・トーシャ。この二人がアウトローたちのコミュニティ「十字路砦」(このコミュニティもとても良い)を拠点として、西に東にドンパチを繰り広げる痛快ウェスタン。…なのだけどそこは速水螺旋人、たぶん最終的には二人とも戦争の渦に巻き込まれてひどいことになるんだろうなあ、という危うい雰囲気がひしひしと漂っております。『大砲とスタンプ』の終盤のように。そして、そういうところもまた魅力的だ。

戦車でアレをやるとは…。『ガールズ・アンド・パンツァー最終章 第4話』がすごすぎる。

よくもまあこんなにアイデアが出てくるなあ、というのが正直な感想。もうこれ以上新しいネタは出てこないだろうと思って観に行くのだけど、毎回「え!!そんなことある!!?」という感想が出てくるからすごい。

第4話は無限軌道杯準決勝でAパートは大洗対継続、Bパートは聖グロリアーナ対黒森峰なんですが、Aパートの大洗対継続がとにかくすごい。第3話の終わりでまさかのあんこうチーム脱落という番狂せがあったわけですが、第4話も始まって早々どんどん「主役」が入れ替わるすごい展開。そして澤梓が実にいい役どころを演じているわけです。この「最終章」のシリーズのテーマは「世代交代」だと思っているのですが、Bパートのオレンジペコのくだりと合わせて、後半のここで大テーマを浮かび上がらせる脚本が実に上手い。

そして最大の見どころはAパート後半の「白くて長くて速いアレ」のシーン。これはもう絶対にネタバレなしで映画館で観てほしい素晴らしいシーン。今までも「アンツィオ戦」とかでの高速戦闘はあったわけですが、こちらはスピードが段違い。そしてスピードに翻弄される中であってもキャラクターたちがきちんと考えて抗っていくというのが良い。第3話終わりからのピンチへの対応は大洗のレジリエンスが試されているのだけど、目まぐるしい主役交代とこの「白くて長くて速いアレ」の場面がまさにその裏テーマと大テーマである「世代交代」が絶妙にマッチしつつ、あまり例を見ないとんでもないアクションが立て続けに起きるわけです。劇中のキャラクターたちのように最初は目まぐるしいスピードに翻弄されていた観客も次第に順応していくというのも面白いし、削ぎ落として削ぎ落として一騎打ちという展開も熱い!

で、AパートがすごすぎるのでまあBパートは消化試合ですよね〜と思って軽い気持ちで観ていたら、BパートはBパートで最後の最後ですごい展開が…。この部分を全く予告編に出さなかったのはすごいなあ。というわけで、ネタバレになるので書けませんが、5話からは劇場版の再演になるような気がします。いやあすごい作品だわ。