今月のベスト1冊

押井守『押井守の映画50年50本』

 押井守監督が1968年から2017年まで「1年1本」という縛りで映画を語っていくという本。「1年1本」と言いつつ初っ端の1968年は2本挙げてるのですでにタイトルと相違があるのだけど、とにかく50(+1)本を監督お得意のひねくれた調子でつらつらと語っていく。

 この手の本だと大抵の場合「その年のベスト1本」を挙げていくもんだと思うのだけど、そこはそれ天下の押井守のことなので一筋縄ではいかない。例えば1998年の「1本」として挙げている「ベイブ」シリーズの2作目『ベイブ/都会へ行く』(ジョージ・ミラー監督)では、早々に「1作目は大傑作。2本目の『ベイブ/都会へ行く』は……問題外だね(笑)。」(p.202)なんて言い出したりするからめちゃくちゃ面白い。ここで監督は「1本目と比較してどこが駄目なのかが明確になる」と言っていて、なるほどこれは単に監督の好み云々の話ではなくて映画論の話なのだ。様々な作品に言及しつつ、自作の解説へとなだれ込んでいくさまは、さながら押井守の頭の中を覗き込んでいるかのような楽しさがある。

 かと思えば、1980年の『戦争の犬たち』(ジョン・アーヴィン監督)の語りでは主人公・シャノンの行動に衝撃を受けて、「(中略)僕も冷蔵庫の中段に拳銃を置くことにした。」(p.99)などと言っていて、若者らしい微笑ましいエピソードかと思っていると、「かれこれ30年以上になるのかな。いまだに入ってるよ。」(p.100)なんて締めていてるので驚かされてしまう。意外にも1988年の一本として富野由悠季監督の『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』が挙げられていて、しかも押井監督が絶賛していたりするのも面白い。富野監督と喧嘩になったエピソードとかも読めて謎のお得感がある。

 1968年の『2001年宇宙の旅』から2017年の『シェイプ・オブ・ウォーター』まで誰もが知る名作から『トレマーズ』みたいなちょっと砕けた作品まで、押井流の濃厚な語りが楽しめる一冊。押井ファンならずとも映画ファンなら必読!

おすすめの新刊

新刊の定義は過去3ヶ月以内くらいに発売された本でお願いします…

大武政夫『ヒナまつり』最終第19巻

 この漫画、なにげに10年も続いてたのか…。超能力少女とヤクザの狂ったコメディ、ようやく完結。あれだけぐだぐだと狂った話ばかり続いてのに、ここにきてきれいに締めるの、単純にすごい。

 とは言いつつ、最終巻でも最初からフルスロットルで狂ってるのでさすがヒナまつり。新田4.0(マネキン)を無意識下でコントロールして車運転させてライブ会場に向かうとか常人には考えつかないでしょ…。書いててもわけわからんし。渋滞避けるために分解/合体して抜けるのも狂ってる。パト2っぽいよね…ちょっと。未来を変えるためにあれやこれややるのはまあいいんすけど、それがライブでアツシ一人のテンションにかかってるとかね…。すごいよね。成層圏まで行くしさ…。最初から最後まで狂った漫画だったぜ…。いや、最初はだいたいまともだったかな…。瞳が社長になったあたりからおかしくなっていった気がするよ。

 で、この19巻、かなり分厚いんですが、物語の決着は前半で終わって、後半は後日談がたっぷり載っているのも地味に嬉しい。作者のキャラクターに対する愛が感じられる。みんなが社会人になったり大学生になったりしてるのに、高校生のままのニワトリが地味にやばくてじわじわくる。この漫画唯一のまとメン(まともなメンバー)であるところのアンズの苦労が報われているのが嬉しい。あと例によって新田一家の飲み会が描かれてるんだけど、まあ最後まで狂ってましたね。絵面がやばい。

 いやしかし、繰り返すけど、狂ったキャラしかいないのによくここまで綺麗にまとめたよねえ。とても爽やかな終わり方で満足しかない。

近藤ようこ『高丘親王航海記』第Ⅰ巻、第Ⅱ巻


 澁澤龍彦原作、漫画は近藤ようこ。貞観7年乙酉の正月27日、高丘親王中国・広州の港から天竺へと向かう。この高丘親王とは810年に起きた「薬子の変」によって皇太子から親王に格下げされた人物。親王一行は行く先々で様々な不可思議な出来事と出会う…。

 Ⅰ巻の解説で巖谷國士先生も書かれているように、やはり澁澤龍彦の作品に流れる夢現な雰囲気と近藤ようこ先生のどこかふわりとした作画が実によく合っている。夢も現も現在も過去も同じタッチで描かれることによって、現実と空想、夢の世界、過去と現在は混じり合い、幼少期の薬子の記憶ははっきりと親王の脳裏に残り、漂流する儒艮は人語を解しはじめ、新大陸で見つかるはずの流暢な人語を話す博識な大蟻食はアンチポデスとして親王の前に姿を表す。ここには生と死の区別すら曖昧になっているようなおおらかな世界が描かれている。

 そういった意味では、Ⅱ巻のおよそ半分を占める「獏園」のエピソードはシリーズ全体を象徴するかのようなエピソードだった。そもそも獏という生き物自体が空想上のものであるにも関わらず、リアリティのある俗っぽい生物として描かれているのが面白い。もちろん、獏なので夢を食べるのだけど、それを糞として排出し、良い夢なら芳しい香り、悪夢なら悪臭が漂うという。性交の場面などもあって生々しいことこの上ない。かと思えばオチはなるほど、という感じのオチで、地面に足がついているのかいないのか、読んでいる方もこの心地よさの中で溺れてしまいそうなエピソードだ。

 親王の旅はまだまだ続くそうなので、続刊が楽しみな作品。おすすめ。

山田芳裕『望郷太郎』第3巻

 前巻でシベリアにあるパルの故郷の村にたどり着いた太郎とパルは「大祭り」と呼ばれる儀式に参加するが、激化する対立の中で二つの村は戦争状態に陥る。太郎はあえなく捕まり、東の村の奴隷とされてしまうが、ついに奴隷たちとともに村を脱出する。

 当初のサバイバルという大自然の闘争から、村と村の戦争という社会的なサバイバルに焦点が移っているのが面白い。さらにこの第3巻では「マー」と呼ばれる貨幣のようなものが村と村、そして彼らの上に存在する国家的な組織との関係の中で重要な役割を果たしていることが明かされる。さらにその「マー」の呪術的な側面が、実は太郎の前世での生業とまさかの関連があることがわかり…。いわゆる異世界ものもこれくらいじっくりとした展開なら納得できるのになあ。とにかく、500年後の古代世界でもういちど「経済」をやろうという試みが実に面白く今後の展開も楽しみだ。

杉谷庄吾[人間プラモ]『映画大好きカーナちゃん』

 カーナちゃんって誰だっけ…というレベルで忘れてたけど、そういえばいた気がするわ。『映画大好きポンポさん』のスピンオフ第二弾。主人公は女優志望のモブ、カーナ・スワンソン。ひょんなことから脚本家志望のモブ男、クライスラーと出会い、彼の映画の主演女優を務めることに…。

 あとがきで作者自身が言っているように、今回はシリーズ禁じ手のSF映画が舞台で個人的にはかなり盛り上がった。もうひとりの主人公であるクライスラーがいかにもSFオタクという感じで好感が持てる。好きな映画は『ソイレント・グリーン』『華氏451』(1966)『サイレント・ランニング』で、設定を語るときにめちゃくちゃ早口になるというテンプレがむしろいいなあ。SFオタクってのは基本めんどくさいからね。張り切って上げてきた脚本が220分超えというのもいかにもらしい。後半の「いかにしてSF映画らしい壮大さを出すか」というアイデアも確かにこの手があったか!というSF的楽しさに満ちていて大変好み。

 主人公はタイトルでもあるカーナちゃんなんだけど、彼女が劇中で体得していく演技論も、根性とか感情とかといったこの手のドラマにありがちなものとは全く異質なものとして描かれていて、かなり意表を突かれた。いや、理論上はできるけどさあ!というね。劇中の映画『プロスロギオン』の中での彼女の役柄は異星人の技術で作られたアンドロイドという設定なのだけど、なるほどそこにも呼応しているのもおもしろい。そしてまた、自らの作り出した完璧な演技をこなしていくうちに役に入り込んでいくというのもベタなのだけど燃える!

 ところで、次回はジーン君復帰になるのかな?引きもめちゃくちゃ映画的で上手いなあ。来年の映画も楽しみ。

門田充宏『記憶翻訳者 いつか光になる』

 門田先生の初単行本『風牙』の文庫化なんだけど、4編あった単行本を2分冊にしてるのが面白い。で、空いたスペースに短編1つと掌編1つを書き下ろしで入れていて、これもう実質新刊だろっていうね。面白い売り方だなあ。買っちゃうじゃんこんなの。

 で、書き下ろされた「いつか光になる」がまあ実に素晴らしい作品なんですよ。普通に短編年間ベストに入れました。この「記憶翻訳者」のシリーズはタイトルにあるように記憶のレコーディング技術が確立されている世界の話で、主人公の珊瑚は他者の記憶を「翻訳」するという役どころ。他者の記憶はそのままでは意味を成さず、彼女のような「過剰共感能力者」による汎用化されることで初めて商業的な価値が生まれる。過剰共感能力者たちは他者の記憶を翻訳できるというギフトを持っているのだけど、それは同時に共感能力を抑えるトランキライザーを装着しなければ自他の境界が曖昧になってしまうという呪いでもあるというのが本シリーズの面白いところだ。

 今回書き下ろしの短編「いつか光になる」では記憶翻訳技術が映画のプロモーションに使われてるという部分も面白いのだけど、やはり魅力的なのは新キャラクターのハルの存在だ。幼い頃、実親によって引き起こされた凄惨な事件に巻き込まれたハルはとある事情からその頃の記憶をなくしている。ハルは記憶翻訳者ではないのだが、珊瑚と組んで映画プロモーションの仕事に取り組むこととなる。これ以上はネタバレになるので詳しく書けないのだけど、映画による自分の人生の追体験と不可能性、そこから生まれる可能性の描き方が素晴らしい。失うものがあれどもそこに残るものもある。それを示すのがシリーズの中で死んでしまう運命を背負った九龍社社長の不二であるというのがまた上手い。「喪失感」はこのシリーズに通底するテーマのひとつだと思っているのだけど、そういった意味でもとても象徴的で素晴らしい短編だ。

ダニエル・H・ウィルソン『アンドロメダ病原体-変異-』(上下)


 前作未読なんだけど、全く問題にならない面白さだった。まあ前作は超有名作だし、本作の中でもざっくりと顛末が語られるのでそういう点もあるのだけど。第一次アンドロメダ事件から50年後。アンドロメダ因子が再び地球上に現れるのを監視する<永遠の不寝番>計画がブラジルのジャングル奥地に奇妙なパターンを検出する…。という出だしからもう最高。厨二病っぽいネーミング(まあでも実際にありそうではある)もいいし、様々な立場の視点人物から語られていく一触即発の緊張感がたまらない。

 かくして、異変を調査するために多国籍からなる専門家チームがジャングルに派遣されるが…というのが中盤の展開で、専門家チームの連中のキャラも立ってるし、謎の部族の攻撃やら何かを隠しているガイドやらとまあ盛りだくさんなのだが、さらに異変の中心にはアンドロメダ因子によって超巨大な建造物が形成されていて…。と同時に国際宇宙ステーションでも何やら陰謀が進行し、物語のスケールが宇宙規模に拡大していくという予想外の飛躍が実に楽しい。

 後半ではアンドロメダ因子が異星人によるテストの類なのではないか?という話が持ち上がるのだけど、このあたりは『天元突破グレンラガン』とか『地球幼年期の終り』なんかを連想したりしました。推しキャラは老成した黒人科学者のオディアンポ。好々爺に弱いので…。

近藤聡乃『A子さんの恋人』最終第7巻

 堂々巡りの物語がようやく決着。あまりにも美しく終わってしまった。それもこう、まあこの人とくっつくんだろうなあ、という予想を覆して、あるべきところに収まる、というのがいい。ざっくりと言ってしまうとこの物語はタイトルでもある「A子さん」が名前を取り戻すまでの話なのだけど、ここでは「他者がいて自分がいる」という恋愛ものにとどまらない普遍性が生まれていて、要するにこれは一人の無名の人間存在がいかにして社会の中で生きていくのかという話なのだった。そういう意味でA君の「I love you」の意味(「一緒に生きていく方法をふたりで考えましょう」)はしみじみと良くて、自らの身に置き換えてみても身につまされるところがある。この物語はきちんと読み込みたいので、1巻から読み返すこととしよう。

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