はじめてのジョン・ヴァーリィである。あの名作と言われる『へびつかい座ホットライン』も未読。

 本作は、<八世界>の作品群を「発表順に」全て網羅しようという世界初の試みで、初心者としては非常にありがたい。共通して舞台となる<八世界>というのはこの世界で開発されている太陽系の居住区域のことで、「水星」「金星」「月」「火星」「土星の第六衛星タイタン」「天王星の第四衛星オベロン」「海王星の第一衛星トリトン」「冥王星」の8つ。この他に本書の中でも出てくる土星の衛星のヤヌスや土星の環などが舞台として登場する。地球が入っていないのは21世紀に突如として現れた「謎の異星人」に追い出されたため。このあたりの物語の背景は作中では断片としてしか語られることはないのだけれど、巻末の山岸先生による解説によって補完されているので理解はしやすい。

 全体的な印象としては新世界を生きる人々を情緒的に描いた作品、とでも言えるだろうか。失った故郷への憧憬と、それとは真逆のベクトルを持った太陽系外縁へと向かうフロンティア精神。近未来から遠未来にかけて、太陽系のそこかしこで繰り広げられる人間模様が、どこか幻想的な趣を持った新世界ならではの生活様式の中で語られる。場所が変わっても、本質的には地球時代と変わらない泥臭さというのがまた良い。

 特徴的なのは作中のテクノロジーの数々で、そのほとんど全てが「へびつかい座ホットライン」と呼ばれる太陽系を貫く謎の通信ビームに由来する。この辺りの事情は本書の中の「ブラックホール通過」の中でも断片的に語られているのだけど、地球から追い出された人類が宇宙に適応するためによくわからない技術でもとりあえず使ってみようという場当たり的な感じもして面白い。環境を改造するのではなく、人体を改造するというのも特徴的で、性別なんか当たり前のようにコロコロ変わるし(ただし、これはへびつかい座ホットライン以前に開発されていた技術)、水星の超高温に適応するために「服」と呼ばれる力場発生装置を身体に埋め込んだりもする。土星のリングに住む人々などどこまでが人間なのかわからないくらい。だから、ヴァーリィがサイバーパンクの先駆者として見られているのも納得できるのだけど、サイバーパンクと決定的に違うのは反抗心の無さで、ともすれば地球を占拠している謎の異星人に対するミリタリーSFにもなりうるような設定を放棄して、ただひたすらに未来の日常をエキサイティングに描いている。歪な黄金時代の物語とも言えようか。

 以下、各話の簡単な感想。

「ピクニック・オン・ニアサイド」。舞台は月面。少年少女が家出(という名の小旅行)の末に人生の未知の側面に触れる。タイトルにある「ニアサイド」とは月の表面(月に向いている側)のこと。<侵略>の記憶が残るこの時代においてはニアサイドは種族的トラウマを呼び起こす要素だ。二重の意味での通過儀礼の物語であり、決断と別れの物語でもある。食卓での何気ない親子の会話から始まるというのもこのシリーズの全体の雰囲気を象徴しているかのようだ。

「逆行の夏」。へびつかい座ホットラインからの技術革新に太陽系各地での居住が可能になった<八世界>。水星の表面での姉弟の再会。<八世界>ではテラフォーミングは基本的には行わず、人体改造でそれに対処する。平均表面温度が180度になんなんとする水星においては、それは「服」と呼ばれる力場発生装置で、体内に埋め込む形で装備する。『ドラえもん』の「テキオー灯」とか「食用宇宙服」を連想するこのアイテムはシリーズにおいてかなり頻繁に登場する。「服」は皮膚表面から数ミリのところをカバーするため、水星表面を歩くときは常にみんなマッパというのが衝撃的(笑)水銀の池をスケートのように滑ったりする描写が面白い。

「ブラックホール通過」。太陽系の涯てを舞台にしたメロドラマ。へびつかい座ホットラインからの情報を分析する孤独な男女のお話。結局彼らが物理的に出会うのは物語の終わりになってからで、それまでは立体映像越しに慰めあっているというのがエロイプで擬似セックスする現代の若者のようで面白い。数十本のエンジンを適当に束ねた粗雑なロケットにまたがって男を助けに来る女傑のイメージが痛烈に頭に残る。女性の活躍という点でもヴァーリィらしい作品。

「鉢の底」。金星の片田舎で観光気分のボンクラ男とロリ才女がちょっとした冒険に出るお話。「追従機(タガロング)」という人型機械が肺に空気を供給するために同行する。グロテスク。ここでもやはり「服」が必要になる世界。冒頭で主人公が人工眼を入れ替えていたり、少女が町医者(ただしこの世界では医者は尊敬される職業ではない。)まがいのことをやっていたりする。<八世界>(金星)の医療事情、交通事業を垣間見ることができる。読んでる最中はあまり意識しないんだけど、赤外線の眼を付けてもここは真っ暗な世界なんだよな。

「カンザスの幽霊」。意識の連続性について描いた傑作。「ピクニック・オン・ニアサイド」で少年だったフォックスが妙齢の女性になって再登場する。3度目のバックアップから目覚めたフォックスが「自分の」連続殺人について調査をするというサスペンス仕立てで、八世界らしいテクノロジーのオンパレード。中心となるガジェットは「意識のバックアップ」という現在の我々からするとそれほど目新しくないものだけど、自我の連続性について曖昧にせず、はっきりと区分けしているのが面白い。端的に言うとバックアップから目覚めた「私」とそれまでの「私」は別人というわけだ。この仕組を利用した制度も後の作品で登場したりもする。月面地下のカンザス・ディズニーランド(この時代のディズニーランドとは地球の環境を再現したテーマパークのような位置付けでウォルト・ディズニーとは関係ない)の様相と、そこでの「環境芸術」の壮大さが印象的。オチは最近映画化もされたハインラインのアレとかを連想するのだけど、ここでもしっかりセックスしちゃってるのがヴァーリィらしい。

「汝、コンピューターの夢」。これも意識の連続性に絡んだ話。ケニヤ・ディズニーランドで動物の意識への乗り移りを楽しんでいた観光客がふとした手違いで意識だけがコンピューターの中に囚われてしまう。意識を転送したら身体が行方不明になってしまったというあたりは、この世界における身体の扱いの適当さが垣間見える(しかも施術中に見学に来ていた子供がいたずらしてという…)。入り込んだのが業務用コンピューターだったせいで、自分では日常生活を送っているつもりでもふとしたはずみで大惨事を引き起こしてしまったり、外部との通信手段が超常現象の形をとって表れたりと、どこかコメディタッチである。タイムシェアリングの概念も登場する。

「歌えや踊れ」。土星衛星ヤヌスが舞台。へびつかい座ホットラインの技術によって作られた生体宇宙服「シンプ」、そして彼らと文字通り一体となって生きる住人たちの日常が描かれる。ほとんどの資源の無い宇宙空間であっても、水をリサイクルし栄養を作り出して生存できるシンプのアイデアだけでお腹いっぱいになる。光合成によってエネルギーを得る際に、数キロにも及ぶ皮膜を広げるという太陽ヨットのようなイメージが土星近辺のスケールの大きさを想起させてくれるし、シンプ自身に独立した意識は無くて、共生する人間の脳機能をタイムシェアリングすることで意識が生じるというのも非常に面白い。

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