後味悪すぎる
『ユマカウンティの行き止まり』、愉快なブラックコメディだと思って観に行ったんですが普通に鬱映画でした。なんやねんお前。
ガス欠のガソスタに併設されたダイナーに人々が足止めを食い、その中に銀行強盗犯もいるという話で、たしかにこの設定だけだとコメディにいくのかなと思ってみているとだんだんイヤーな展開になっていくわけです。というか強盗役の片方のリチャード・ブレイクがあまりにも目力がありすぎて結末が読めてしまうのは配役ミスなのでは?いやめちゃくちゃ良い芝居ではあったんですが。存在感がありすぎて他の人のキャラが霞んじゃう感じもしますね…。
観終わるとこれ結局誰が/何が悪かったんだ?となったんですが、最初にセールスマンが銀行強盗に気づかなければ…強盗の若いほうがトイレに行かなければ…新人保安官がもうちょっと賢かったら…電話にすぐ出ていれば…そもそもガソリンがちゃんと供給されていれば…と映画の中なのにいろいろと後悔ポイントが出てきてしまい、そういった点では面白い映画ではありますね。個人的には資本主義と銃が悪いとと思いました。
そういえば、舞台となるダイナーの雰囲気が良すぎなんですが、今思うと西部劇の現代版ってこんな感じなんだな、という気もしますね。
だいたいタイトル通り
超知能AIをつくれば人類は絶滅する(Amazon Kindle)
タイトル詐欺だと思ってた『超知能AIをつくれば人類は絶滅する』、ガチでタイトルそのままで今年一くらい面白いです。
第一部では「なぜ超知能AIができたら人類が絶滅するのか?」が理論的に説明される。主なポイントは二つで「超知能AIの能力は人類を凌駕する」ということと「超知能AIの選好は人類には理解不能」だということ。前者は単純で、シンギュラリティを超えて自己進化を始めたAIは人類からすると神のような能力を持ち、人間では対抗できなくなる。最近のAIの進化とセキュリティまわりで、対抗可能時間が加速度的に少なくなっていくのを見ると個人的にはかなり納得感がある。後者の選好の問題がより深刻で、要するに「超知能AIは何を考えているかわからない」ということなのだけど、人類と全く異なる知性が全く異なる選好を持つというのはSFではおなじみのテーマだし、当然そうだろうなという気がする。本書の特徴の一つは寓話を交えてわかりやすく語られていくことなのだけど、超知能AIの選好に関するくだりで提示される「素数個の石に固執する異星人」の寓話はかなり秀逸。
第二部はこのような超知能AIが誕生した際に考えられる人類の絶滅シナリオが小説形式で描かれる。このパートはかなりSF小説っぽさがあってだいぶ面白いし、なるほどと思わせる説得力がある。ただし、「超知能AIは必ず人類を絶滅させるが、その方法は全く想像できない方法だろう」と著者自身が断っているように、このシナリオはかなり「わかりやすい」お話だろう。
第三部は超知能AIを生み出さないためにどうすればいいのか、という対抗策が論じられるが、このパートはだいぶ胡散臭くなる。とにかく「一度でも」「地球上の誰であれ」超知能AIを作り出してしまえば人類は絶滅する、と著者は信じているので、そのためには核拡散防止条約のような国際条約で規制するほかはなく、条約を破ってGPUを溜め込む国はたとえそれが核保有国であろうともデータセンターを爆撃して止めなければならないとぶち上げている。要するに超知能AIよりは全面核戦争の方がマシだと言っているのだけど、明らかに言いすぎだろと思いつつ、論理的に考えれば人類絶滅よりはマシだということはわかる。
第三部こそトンデモ本一歩手前なのだけど、特に第一部の人類絶滅の論理は説得力があり抜群に面白い本だ。あ、あとどうでもいいんだけどタイトルに「ッ!」を付けた方が売れたと思う(悪い意味で)。やらなかった早川は偉いなあ。
コメントを残す