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【映画批評】『スパイダーマン:ホームカミング』:イキリスパイディVS中小企業のおっさん【あまりネタバレなし】

      2017/10/24


ベンおじさんが最初から死んでるので話が早い

 シリーズとしては実に3度目の映画化である。個人的には『アメイジング・スパイダーマン”3”』が観たかったのだけれど、この映画を観てその思いはあらかた消えてしまった。そもそももう無理っぽいし。

 今回のスパイダーマンは前2シリーズとは全く違う。これまで物語の契機として描かれていたスパイダーマン誕生のエピソード、そして彼が真のヒーローとして動き出すきっかけとなるベンおじさんの死はごっそりと削られている。前のシリーズを観ていない人間にとっては不親切かもしれないが、今回のシリーズに関してはその部分が無くとも容易に理解できるようになっている。というよりもむしろ、ヒーローとしての立ち位置というテーマが大きく変容してしまったため、ベンおじさんのエピソードが入るとわけがわからなくなると思う(じゃあ生かしといてやれよ、という気もするけれど)。

 もうひとつはスパイダーマンがアベンジャーズの物語の中に組み込まれたことだ。『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』ではアイアンマン側として空港での乱戦に参戦し、トニー・スタークからスーツとウェブ・シューターを受け取ったピーター(トム・ホランド)。今回の物語は、彼ら、特にアイアンマンことトニー・スタークとスパイダーマン/ピーターの関係を軸に語られていく。実質的なスポンサーとしてのトニー・スタークがいるので、今作のピーターは自作のダサいスーツではなく、ハイテクでパリッとしたスーツを最初から着ている。

エイドリアンの持つ二面性

 そして、この映画がこれまでの「スパイダーマン」シリーズと決定的に違うのは、その「敵」の描き方だ。

 これまでのシリーズにおいてスパイダーマンが対峙してきた敵たちは、ざっくり言ってしまえば皆「狂っていた」。例えばサム・ライミ監督による『スパイダーマン』第一作、ピーターの前に立ちふさがるのは、大企業の社長でありながら自ら研究の実験台となって驚異的な力を手に入れるグリーンゴブリンことノーマン・オズボーン(ウィレム・デフォー)だ。彼は力を手に入れると同時に、その力によって精神に異常を来してしまう。また、彼の息子でありピーターの親友でもあるハリーは、父の死がスパイダーマンによってもたらされたと信じ込み、復讐の狂気にのめり込んでいく(『スパイダーマン3』)。『スパイダーマン2』の科学者オットーも自身の発明の失敗によりそれまでの温厚な人格を一変させる。『アメイジング・スパイダーマン』のコナーズ博士もまた同様だ。

 彼らに共通しているのは、何らかの実験(の失敗)あるいはアクシデントによって超人的な力を得るものの、その代償として正気を失い、悪役としてスパイダーマンと対立していくという構図だ(例外は『スパイダーマン3』のサンドマンくらいだろうか)。ヴィランたちを突き動かすのは狂気的な破壊衝動、あるいは盲目的な復讐心といった非日常的な動機だ。

 では『スパイダーマン:ホームカミング』のヴィランであるヴァルチャーことエイドリアン(マイケル・キートン)はどうだろう。彼が犯罪を犯す理由はただ一つ。「生活するため」である。エイドリアンは他のヴィランのように、衝動にかられて街を破壊したり復讐心を燃えたぎらせたりすることはない。それどころか自身の「事業」が世間の介入によって破綻しないよう、街の片隅でひっそりと活動しているのだ。これまでの(そして多くのヒーロー映画の)ヴィランが非日常的空間に軸足を置き、世界征服だとか復讐だとかいうある意味バカバカしい目標を掲げているのとは対照的だ。エイドリアンは地に足のついた、言い換えれば地域密着型のヴィランなのである(めっちゃ飛んでるけど)。

 中小企業の経営者たるエイドリアンはピーターを軸にして向こう側にいるトニー・スタークと対照的に描かれる。エイドリアンには守るべき家族がおり、日々の地道な暮らしを守るために働いている。人々の目に触れることは無く、賞賛も非難も彼には無縁のものだ。要するにエイドリアンという人間は市井の一人の父親であり、たとえスーツが無くとも、派手で目立ちたがり屋の大富豪であるトニー・スタークとはまさに天と地ほどの格差が存在している。実際、トニーの拠点であるスタークタワーの上層階と、エイドリアンがアジトにしている狭苦しい工場の描写は鮮やかな対比を成している。エイドリアンとトニーの共通点は唯一、武器の製造販売という点だが、ここでもまた同じ行為が階級によって正義と悪とにわけられている。アイアンマンの武器は良い武器で、ヴァルチャーの武器は悪い武器、というわけだ。もちろん、それは非合法な手段で手に入れた素材(チタウリ)で作られ、悪事を企む者に販売されるのだが、そもそも、エイドリアンたちをそのような非合法的な手段に駆り立てたのもまた、トニー・スタークその人なのである。物語の冒頭、『アヴェンジャーズ』でのニューヨーク決戦で生じた莫大な瓦礫の撤去を請け負ったエイドリアンらはトニーと政府によって新たに作られた「ダメージコントロール」によって仕事を奪われてしまい、すでに撤去していたチタウリの残骸から武器密売という事業を思いつくのだ。自らの決定によって一人の市民を悪の道に導いたという意識はトニーにはないし、物語を通じてこの二者が相まみえることもない。ヴィランとしてのエイドリアンの誕生というエピソードからは資本主義社会における経済的格差がどれほど簡単に弱者を追い詰めるのかを教えてくれる。そしてまた正義と悪の境界の危うさについても。

「ホームカミング」が示すもの

 新しいヴィラン像に合わせるかのように、主人公ピーターの様相も新しい。前2作における彼の動機は、直接的にはベンおじさんの復讐であり、それが普遍的な正義感として目覚める過程を描いてきた。だが、「ホームカミング」のピーターにはすでにベンおじさんはいない。彼のヒーローデビューは実質的にはアベンジャーズとの共闘だったわけだが、彼の中ではその体験がいつまでも尾を引いている。スタークと出会う前の地道な自警団敵活動を続けながら、ピーターは華々しく、皆に賞賛される「アベンジャーズ」の一員としてのヒーローにこだわり続ける。

 この映画においてトニー・スタークは従来のシリーズのベンおじさんの位置を引き継いでいて、スタークとピーターは擬似的な父子関係を描き出す。スタークはこっそりスーツに追跡機能を仕込んだり、ピンチに陥ったピーターを助けに来たりする一方で、彼との対話は巧妙に避けている。現代の親子関係を描いた物語に典型的な「息子を放置する父親」だ。そして、スタークとピーターとの関係はピーターの自己実現にも直結している。「スターク(父)に認められること」がすなわちアベンジャーズへの加入となり、そしてピーターの自己顕示欲を満たすような華々しいヒーローへと繋がるというわけだ。

※以下の節には物語の結末についてのネタバレがあります。

 スタークの評価を得るためにピーターは巨悪(といっても町工場のおっさんなんだけど)に迫ろうとするが、その過程で様々な騒動を引き起こす。このあたりの先走り感はいかにも少年らしい無謀さと初々しさに溢れていて、観てるこちらはハラハラすると同時に思わず自らの過去を投影してしまう。この映画は、ヒーロー映画ではあるのだが、その一方で少年の成長と青春期の挫折という普遍的なテーマも孕んでいる。父親であるスタークへの反抗と憧れをエネルギーとした暴走の果てに、ピーターは自分が何者であるかを見出すのだ。スタークが映画のラストで投げかける選択に対し、ピーターが選び取る答えは、エイドリアンが進んできたヴィラン像と呼応している。それは、特殊な力を持ちながらも、市井の人々の間で生きることを選んだ新しいヒーロー像だ。サブタイトルの「ホームカミング」はもちろん劇中で行われるパーティーの名称だが、それと同時に、直訳である「帰郷」が示すように、スターク≒アベンジャーズと決別して地域の自警団という居場所を再び見出すピーターの姿なのである。

予告編

基本情報

スパイダーマン:ホームカミング  Spider-Man: Homecoming133 min

監督:ジョン・ワッツ

音楽:マイケル・ジアッキノ

脚本:ジョナサン・ゴールドスタイン/ジョン・フランシス・デイリー/ジョン・ワッツ/クリストファー・フォード/クリス・マッケーナ/エリック・ソマーズ

撮影:サルバトーレ・トチノ

出演:トム・ホランド/マイケル・キートン/ジョン・ファブロー/ゼンデイヤ/マリサ・トメイ/ロバート・ダウニー・Jr./ドナルド・グローバー/タイン・デイリー/トニー・レボロリ/ローラ・ハリアー/ジェイコブ・バタロン/アンガーリー・ライス

公式サイトhttp://www.spiderman-movie.jp/

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