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トークショー


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トークの内容につきましては、その場で速記してまとめています。事実誤認、不適当な記述などございましたらご連絡ください。対応させていただきます。

出席者

小森はるか監督(本作の監督。以下「」)

三浦哲哉さん(映画批評家。以下「」)

新文芸坐・花俟さんによる前説1

花 夜遅くまでありがとうございます。明日は3月11日です。毎年、3月11日がやってきます。前日にこういう映画を上映しました。当館としては異例の上映です。まだ商業ベースにのっていない、ポスターもない、予告編もない映画です。

『息の跡』という映画について

三 ではまず、作品をとった経緯について簡単に教えていただけますか?

小 大学の卒業制作として制作して、山形国際ドキュメンタリー映画祭2の企画「ともにある」3で上映しました。そこでこちらの五十嵐さん4に観ていただいたことがきっかけで今回のこの上映に繋がりました。

三 まだ配給が決まる前にこの名画座で上映されたということで、名画認定されてしまいましたね(笑) ところで、東京で映画の勉強をしていた小森さんがどうして陸前高田で撮ることになったのでしょうか?

小 元々は先端芸術というアートよりの分野で勉強していたんですが、まだ進路が定まっていない時に震災にあい、その時に表現に携わっている者としてどうしたらいいのか身動きが取れなくなってしまったんです。そんな時に、瀬尾夏美5さんからボランティアならやれるんじゃないかということで、震災から3週間後に彼女と二人でボランティアに入りました。その時もカメラは持って行ったんですけど、実際の現実を目の前にして、カメラを取り出すことが出来なかったんです。それで、ある日、一人のおばちゃんから、「カメラを持っているなら、故郷を記録して欲しい」ということを言われて、その時から瀬尾と二人で「記録すること」を念頭にして活動することにしました。

三 その言葉が重要だったんですね。その方は陸前高田の人ではなかったんですか?

小 陸前高田ではないけど岩手の方ですね。

三 そこで、陸前高田に居を移すことになったきっかけというのは?

小 これも、瀬尾のほうから「ここに住んで絵を描きたい」という希望もあって、2012年に引っ越しました。

三 せんだいメディアテークとの関連は?

小 「3がつ11にちをわすれないためにセンター」6という部屋が設けられていて、そこはプロの映画監督だけではなくて、だれでも記録を持ち寄って、語ることができるという場所なんです。仙台に行ったときには良く行っています。

三 (映画監督の)濱口竜介7さんとは交流が深くて、一時期は一緒に住んでいたとか。

小 (笑)そういうわけではなくて、濱口竜介さんの住んでいるところが、来た人は誰でも泊まっていい場所になっていたので、仙台に行った時はよく泊まらせてもらっていました。交流が深まったのは最近ですね。

三 この映画の制作はどのような形で行ったんでしょうか。

小 陸前高田で実際に暮らして、アルバイトの合間に撮影を行いました。

三 現地での生活という「営み」が先にあった、ということですね。

小 いつかは表現に結び付けたいという思いはあったんですけど、どうすればいいのかがわからなかったんです。きっかけはメディアテークでの上映があったり、卒業制作があったりして、なんとか形にできました。最初は佐藤さん一人の映画ではなくて、他に記録した人の映像を混ぜても観たんですけど、どうもしっくりこなくて、それならお一人ずつをじっくりと記録してという方針になりました。

三 佐藤さんの他にも記録をした人がいるわけですね。連作になるという構想も?

小 ゆくゆくはそういった形にできたらとも思っています。

三 それで、お一人目が佐藤さんだったわけですね。この佐藤さんが本当に素晴らしい人ですよね。種屋の佐藤さんが希望の種を蒔くという。

小 最初、震災の手記を書いているということで伺ったんですけれども、種屋さんがなんで英語で書いているのがわからなかったんですよね。佐藤さんに聞くと、日本語だと意味が突き刺さって書けないから、知らない言語なら書けるだろうと思った、ということで、それが凄いな、と。そして、それで何を書いているんだろうということですね。それと、最初に伺った時にたまたま来ていたおじさんとの会話がとても面白くて。佐藤さんの日常がどういうものなんだろう、一緒に過ごしていみたい、という思いから、佐藤さんの記録をとることにしました。

三 とても独特の距離感ですよね。一般的なインタビューのような形ではなくて。小森さん、一切質問しないですよね。佐藤さんが勝手に話してる(笑) どういう過ごし方をしたんですか?

小 映像観るとわかると思うんですけど、撮影したのは朝と夜だけだったんです。

三 お客さんも1回しか写ってないから全然繁盛してない感じですよね(笑)

小 そんなことないです。すごく繁盛してました(笑) 佐藤さんはこちらから話さなくてもどんどん喋ってくれるんです。店が無くなってしまうということから、記録を残してくれという感じになっていくんですけど、最初のうちは「お前、なんでそこにいるんだ」という感じで(笑)

三 次に何をするんだろう、という予想が全然つかない。ジャック・タチ8みたいな突拍子も無い感じがありますよね。見ていて幸福というか。

小 佐藤さん自身は自分を被災者として見てほしくないと言っていて、私もそのように撮りたくはなかったんです。佐藤さんが特別なんじゃなくて、どこにでもある、普遍的で必要な営みとして撮っていました。

「記録」を映画にする

三 僕は見事な構成になっていると感じたんですけど、いつどの時点で作品になるというか、編集はどのようにやったんですか?

小 ほとんど毎週のように佐藤さんの所に行って撮影して、というのを2年間やっていたので、普段は(録った映像を)全然観ていなかったんです。さあ作品を作ろうという時になってから見返して、どの言葉が大切かとかを考えていって…、でもほとんど時系列です。ただ、最後の文章が、試写のバージョンでは最初に来ていたんですよね。

三 そうですね。これはどういう意図だったんですか?

小 最初にあの言葉を持ってきてしまうと、見る人がそこから出て行かないで完結してしまうという感じがあって…。山形国際映画祭での上映の直前に今のバージョンになりました。私の中でもこれで作品になったんだな、という感慨がありました。

三 現行のバージョンを見て涙腺が決壊しました。この映画は余計なものがないですよね。足すことはいくらでもできるし、それが普通で親切ですよね。

小 抽象的なものにしたいという思いはあって、撮ったものをどうやったら抽象的にできるのか。佐藤さんの言葉はとても具体的に説明してくれていて、どうやったら映像にしていけるのだろうと悩みました。ただ、佐藤さんの英文と実際に言っていることは全然違うことがあるんですよね。英文じゃないと書けなかったことをなんとかこの映画の中に染み込ませていきたくて、最後のあの文章を入れたりしてみました。

質疑応答

質 途中でおばさんが種屋の仕事を手伝っていて、その言葉がほとんどわからなくて…。小森監督はあのおばあちゃんの方言がわかるくらいの距離感で撮っていたんですか?

小 あの人は佐藤さんのお母さんです。最初は言っている内容がわからなかったんですけど、それは移住直後だったとこともあって…。でも住み続けるうちにだんだんわかるようになっていきました。そんな感じの距離感です。

三 それが住むことの距離感ですよね。


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関連リンク

■新文芸坐 http://www.shin-bungeiza.com/
■Komori Haruka + Seo Natsumi http://komori-seo.main.jp/blog/

NOTES

  1. 花俟さんがスーツでした!
  2. 1989年から始まったドキュメンタリーに特化した映画祭。略称は「YIDFF」。2015年のインターナショナルコンペティション部門ではポルトガルの巨匠ペドロ・コスタ監督の『ホース・マネー』がロバート&フランシス・フラハティ賞(大賞)を受賞。
  3. 「ともにある Cinema with Us 2015」。2015年10月10日-13日、山形美術館。
  4. 新文芸坐アルバイトの五十嵐さん。今回の企画は彼の発案であり、そういった意味でも異例の上映である。
  5. 画家・作家。1988年生まれ。東京芸術大学美術学部先端芸術表現科卒業、同大学院修士課程油画専攻修了。2011年から小森監督とアーティストユニットとして活動。
  6. せんだいメディアテークが2011年5月3日に開設。略称は「わすれン!」。メディアを通して震災と復興の記憶を蓄積するのが目的とのこと。http://recorder311.smt.jp/
  7. 濱口竜介(はまぐちりゅうすけ、1978年12月16日-)。映画監督。最近だと5時間に及ぶ大作『ハッピーアワー』が良かったですね。2011年から2013年にかけて酒井耕監督と協同で「東北記録映画三部作」(『なみのおと』『なみのこえ 気仙沼』『なみのこえ 新地町』『うたうひと』)を制作。
  8. ジャック・タチ(Jacques Tati, 1907年10月9日 – 1982年11月4日)。フランスの映画監督。喜劇中心。飄々とした謎のおっさんユロ氏(監督本人)を主人公とする一連の作品が有名。個人的には『プレイタイム』と『トラフィック』が最高に好きですね。