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【映画レビュー&レポート】『息の跡』:3.11後の世界を生きる。
@新文芸坐、2016年3月10日

      2017/09/10


 東日本大震災のドキュメンタリー映画としては極めて異質なものに属するのだろう。なにしろ、震災の被害がほとんどビジュアルとして示されないのだ。震災の直後そして今でも節目節目の際に繰り返し流される、あの非日常的な光景、あっという間に家々を覆っていく水、建物の屋上に逃れた人々の焦燥、嘆きの声を上げる遺族たち。そういったものはこの映画には一切無い。

 センセーショナルな映像の代わりに、この映画が記憶するのは震災の後の世界を生きる一人の男の日常だ。朝、店を開ける準備をし、井戸で汲んだ水を苗に与え、夕方になると店を片付け、そして英語と中国語で震災の記憶を綴る。季節のめぐりを辿って、カメラはただひたすらに彼の日常を記録する。混乱の極みにあった震災当日の記録とは対象的な、静寂な日々が画面に流れる。

 ドキュメンタリーとしては、とてもシンプルな映画だ。シンプル過ぎて不親切にみえるくらい。テロップはほとんど出ない。この映像がいつ撮られたのか、ということはかろうじてわかるが、それ以外の情報は全くと言っていいほど提供されない。どこの映像なのか、誰が撮っているのか、そして、画面の中で喋り続けるこの男9は一体誰なのか。画面に映る人物はほぼ一人。会話の端々に出てくる単語、例えば「一本松」といった言葉からここが陸前高田のどこかであること、元の店舗が津波によって流されてしまったということはかろうじてわかる。「集落の人は半数が亡くなった」と彼は淡々と語るが、肝心の佐藤さんの家族はどうなったのだろう。震災当日はどうしていたのかも、映画の中で語られることはない。代わりに彼が示すのは、震災の後にただひとつ残ったどうということのない湯呑みであるとか、崩れた近所の石碑であるとか、そういった何気ない事物だ。『息の跡』というタイトルが示すように、震災の痕跡はうっすらと、しかし確実に残っている。

 種屋の佐藤さんは過去を記録し、世界に向けて伝え続ける。しかし、それはあの悲劇を思い出すためなのだろうか?映画の最後に、冊子の中の一文が朗読される。あの災害を記録するために日本語を使うことはできなかった、と佐藤氏は言う。過去を反芻するためではなく、前に進むために彼は不慣れな英語で、中国語で、記憶を綴る。「心に希望の種を」。それは、悲壮なレクイエムなどではなく、未来への応援歌だ。

予告編

基本情報

息の跡  112 min

監督:小森はるか

出演:佐藤貞一

トークショー


!notice!

トークの内容につきましては、その場で速記してまとめています。事実誤認、不適当な記述などございましたらご連絡ください。対応させていただきます。

出席者

小森はるか監督(本作の監督。以下「」)

三浦哲哉さん(映画批評家。以下「」)

新文芸坐・花俟さんによる前説1

花 夜遅くまでありがとうございます。明日は3月11日です。毎年、3月11日がやってきます。前日にこういう映画を上映しました。当館としては異例の上映です。まだ商業ベースにのっていない、ポスターもない、予告編もない映画です。

『息の跡』という映画について

三 ではまず、作品をとった経緯について簡単に教えていただけますか?

小 大学の卒業制作として制作して、山形国際ドキュメンタリー映画祭2の企画「ともにある」3で上映しました。そこでこちらの五十嵐さん4に観ていただいたことがきっかけで今回のこの上映に繋がりました。

三 まだ配給が決まる前にこの名画座で上映されたということで、名画認定されてしまいましたね(笑) ところで、東京で映画の勉強をしていた小森さんがどうして陸前高田で撮ることになったのでしょうか?

小 元々は先端芸術というアートよりの分野で勉強していたんですが、まだ進路が定まっていない時に震災にあい、その時に表現に携わっている者としてどうしたらいいのか身動きが取れなくなってしまったんです。そんな時に、瀬尾夏美5さんからボランティアならやれるんじゃないかということで、震災から3週間後に彼女と二人でボランティアに入りました。その時もカメラは持って行ったんですけど、実際の現実を目の前にして、カメラを取り出すことが出来なかったんです。それで、ある日、一人のおばちゃんから、「カメラを持っているなら、故郷を記録して欲しい」ということを言われて、その時から瀬尾と二人で「記録すること」を念頭にして活動することにしました。

三 その言葉が重要だったんですね。その方は陸前高田の人ではなかったんですか?

小 陸前高田ではないけど岩手の方ですね。

三 そこで、陸前高田に居を移すことになったきっかけというのは?

小 これも、瀬尾のほうから「ここに住んで絵を描きたい」という希望もあって、2012年に引っ越しました。

三 せんだいメディアテークとの関連は?

小 「3がつ11にちをわすれないためにセンター」6という部屋が設けられていて、そこはプロの映画監督だけではなくて、だれでも記録を持ち寄って、語ることができるという場所なんです。仙台に行ったときには良く行っています。

三 (映画監督の)濱口竜介7さんとは交流が深くて、一時期は一緒に住んでいたとか。

小 (笑)そういうわけではなくて、濱口竜介さんの住んでいるところが、来た人は誰でも泊まっていい場所になっていたので、仙台に行った時はよく泊まらせてもらっていました。交流が深まったのは最近ですね。

三 この映画の制作はどのような形で行ったんでしょうか。

小 陸前高田で実際に暮らして、アルバイトの合間に撮影を行いました。

三 現地での生活という「営み」が先にあった、ということですね。

小 いつかは表現に結び付けたいという思いはあったんですけど、どうすればいいのかがわからなかったんです。きっかけはメディアテークでの上映があったり、卒業制作があったりして、なんとか形にできました。最初は佐藤さん一人の映画ではなくて、他に記録した人の映像を混ぜても観たんですけど、どうもしっくりこなくて、それならお一人ずつをじっくりと記録してという方針になりました。

三 佐藤さんの他にも記録をした人がいるわけですね。連作になるという構想も?

小 ゆくゆくはそういった形にできたらとも思っています。

三 それで、お一人目が佐藤さんだったわけですね。この佐藤さんが本当に素晴らしい人ですよね。種屋の佐藤さんが希望の種を蒔くという。

小 最初、震災の手記を書いているということで伺ったんですけれども、種屋さんがなんで英語で書いているのがわからなかったんですよね。佐藤さんに聞くと、日本語だと意味が突き刺さって書けないから、知らない言語なら書けるだろうと思った、ということで、それが凄いな、と。そして、それで何を書いているんだろうということですね。それと、最初に伺った時にたまたま来ていたおじさんとの会話がとても面白くて。佐藤さんの日常がどういうものなんだろう、一緒に過ごしていみたい、という思いから、佐藤さんの記録をとることにしました。

三 とても独特の距離感ですよね。一般的なインタビューのような形ではなくて。小森さん、一切質問しないですよね。佐藤さんが勝手に話してる(笑) どういう過ごし方をしたんですか?

小 映像観るとわかると思うんですけど、撮影したのは朝と夜だけだったんです。

三 お客さんも1回しか写ってないから全然繁盛してない感じですよね(笑)

小 そんなことないです。すごく繁盛してました(笑) 佐藤さんはこちらから話さなくてもどんどん喋ってくれるんです。店が無くなってしまうということから、記録を残してくれという感じになっていくんですけど、最初のうちは「お前、なんでそこにいるんだ」という感じで(笑)

三 次に何をするんだろう、という予想が全然つかない。ジャック・タチ8みたいな突拍子も無い感じがありますよね。見ていて幸福というか。

小 佐藤さん自身は自分を被災者として見てほしくないと言っていて、私もそのように撮りたくはなかったんです。佐藤さんが特別なんじゃなくて、どこにでもある、普遍的で必要な営みとして撮っていました。

「記録」を映画にする

三 僕は見事な構成になっていると感じたんですけど、いつどの時点で作品になるというか、編集はどのようにやったんですか?

小 ほとんど毎週のように佐藤さんの所に行って撮影して、というのを2年間やっていたので、普段は(録った映像を)全然観ていなかったんです。さあ作品を作ろうという時になってから見返して、どの言葉が大切かとかを考えていって…、でもほとんど時系列です。ただ、最後の文章が、試写のバージョンでは最初に来ていたんですよね。

三 そうですね。これはどういう意図だったんですか?

小 最初にあの言葉を持ってきてしまうと、見る人がそこから出て行かないで完結してしまうという感じがあって…。山形国際映画祭での上映の直前に今のバージョンになりました。私の中でもこれで作品になったんだな、という感慨がありました。

三 現行のバージョンを見て涙腺が決壊しました。この映画は余計なものがないですよね。足すことはいくらでもできるし、それが普通で親切ですよね。

小 抽象的なものにしたいという思いはあって、撮ったものをどうやったら抽象的にできるのか。佐藤さんの言葉はとても具体的に説明してくれていて、どうやったら映像にしていけるのだろうと悩みました。ただ、佐藤さんの英文と実際に言っていることは全然違うことがあるんですよね。英文じゃないと書けなかったことをなんとかこの映画の中に染み込ませていきたくて、最後のあの文章を入れたりしてみました。

質疑応答

質 途中でおばさんが種屋の仕事を手伝っていて、その言葉がほとんどわからなくて…。小森監督はあのおばあちゃんの方言がわかるくらいの距離感で撮っていたんですか?

小 あの人は佐藤さんのお母さんです。最初は言っている内容がわからなかったんですけど、それは移住直後だったとこともあって…。でも住み続けるうちにだんだんわかるようになっていきました。そんな感じの距離感です。

三 それが住むことの距離感ですよね。


イベント概要

イベント名5年目の「3.11」を前に/ドキュメンタリー『息の跡』関東初上映
日時2016年3月10日19:00 - 21:40
会場新文芸坐
料金1,100円

関連リンク

■新文芸坐 http://www.shin-bungeiza.com/
■Komori Haruka + Seo Natsumi http://komori-seo.main.jp/blog/

NOTES

  1. 花俟さんがスーツでした!
  2. 1989年から始まったドキュメンタリーに特化した映画祭。略称は「YIDFF」。2015年のインターナショナルコンペティション部門ではポルトガルの巨匠ペドロ・コスタ監督の『ホース・マネー』がロバート&フランシス・フラハティ賞(大賞)を受賞。
  3. 「ともにある Cinema with Us 2015」。2015年10月10日-13日、山形美術館。
  4. 新文芸坐アルバイトの五十嵐さん。今回の企画は彼の発案であり、そういった意味でも異例の上映である。
  5. 画家・作家。1988年生まれ。東京芸術大学美術学部先端芸術表現科卒業、同大学院修士課程油画専攻修了。2011年から小森監督とアーティストユニットとして活動。
  6. せんだいメディアテークが2011年5月3日に開設。略称は「わすれン!」。メディアを通して震災と復興の記憶を蓄積するのが目的とのこと。http://recorder311.smt.jp/
  7. 濱口竜介(はまぐちりゅうすけ、1978年12月16日-)。映画監督。最近だと5時間に及ぶ大作『ハッピーアワー』が良かったですね。2011年から2013年にかけて酒井耕監督と協同で「東北記録映画三部作」(『なみのおと』『なみのこえ 気仙沼』『なみのこえ 新地町』『うたうひと』)を制作。
  8. ジャック・タチ(Jacques Tati, 1907年10月9日 – 1982年11月4日)。フランスの映画監督。喜劇中心。飄々とした謎のおっさんユロ氏(監督本人)を主人公とする一連の作品が有名。個人的には『プレイタイム』と『トラフィック』が最高に好きですね。
  9. 種屋の佐藤さんについてはこちらのサイトが詳しい。
    佐藤貞一(佐藤たね屋)|はなそう基金
    なお、劇中の種屋もGoogle Mapで確認できる。

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