おひるねラジーズ

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逃れられないやるせなさ
【映画レビュー】『そこのみにて光輝く』

      2017/09/11


 愉快な映画ではない。舞台は夏の函館だが、まるで初冬のような陰鬱な空気が常に漂っている。時折挿入される蝉の声や夏祭りの準備といったものだけが、この世界が夏の最中にあることを思い出させてくれる。綾野剛演ずる達夫の、まるで死にたてのゾンビのような生気のない演技がそれに拍車をかける。物語の端緒となる拓児(菅田将暉)のテンションの高さは画面の温度をほんのちょっと温めるだけで、空回りして虚空に消えていく。そういえば、この2人が出会う場所もジャラジャラという音が虚しく響き渡るパチンコ屋であった。

 達夫と拓児という全く対照的な性格ながら同じ境遇に陥っている2人の出会いによって物語は始まる。達夫はかつての「山」の事故によるトラウマに溺れて無気力のままに日々を過ごし、拓児は前科に縛られて町を出ることが出来ず、町外れのバラックに家族とともに暮らす。拓児の姉である千夏(池脇千鶴)は町のスナックで体を売り、拓児の保護観察官との不倫関係によって家族を養っている。寝た切りの父親(田村泰次郎)の介護をするのは同じように年老いた母(伊佐山ひろ子)である。町に満ちたやるせなさから逃れるように、達夫と千夏は誰もいない海で身体を重ね、拓児は「山」へ行くことを渇望する。山や海は「ここではないどこか」を表す象徴であり、希望の拠り所でもある。

 物語に出てくる人々は皆何かに囚われている。それは自らの過去であったり、地縁的なしがらみ、あるいは現在進行形で存在している家族であったりして、どれも簡単には切り捨てることが出来ない。これらのどうしようもない現実をどうするか、というのが最大のテーマであるわけなのだけれど、この映画では結果として2つの選択の帰結が描かれる。それは、「逃れられないもの」を無理矢理に無くしてしまうか、それを受け止めるか、という決断だ。二者の行方がどうであったのかはここでは詳しく書かないが、ラストカットで朝日を受け止める池脇千鶴と綾野剛の表情からは、彼らなりの覚悟が確かに読み取れる。諸々の問題は依然としてして存在しているし、むしろ悪化している部分すらあるというのに、彼らのこの晴れ晴れとした笑顔はどうしたことだろう!これは諦めの境地であるとも読み取れるかもしれないのだけども、少なくとも彼らの世界に纏わりついていた閉塞感は拭い去られている。

予告編

基本情報

そこのみにて光輝く  120 min

監督:呉美保

音楽:田中拓人

脚本:高田亮

撮影:近藤龍人

出演:綾野剛/池脇千鶴/菅田将暉/高橋和也/火野正平/伊佐山ひろ子/田村泰二郎

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